坐禅...自らに向き合えば、新しい自分にきっと出会える!

法話:書庫5 2017年1月 ~ 2018年12月

法話

法話:書庫5 2017年1月 ~ 2018年12月

2018/12/21~31   分け隔てなく

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

師走も押し迫ってきましたが、皆さん大晦日といえば何
を思い浮かべますか?紅白歌合戦、年越しそば、そして
除夜の鐘などを思い浮かべられたのではないでしょうか。

私の居りますお寺でも、除夜の鐘を撞いており、大晦日
の夜には大勢の方にお参りいただき、皆様に鐘を撞いて
頂いております。

皆様、一様に心が洗われましたと仰られ清々しい笑顔で
帰られます。そんな姿を見る度にこちらも清々しい気持
ちを頂いております。

当山の鐘は割と大きく、一撞きしますと大きな音が長い
時間響きます。ある時、いったいどのくらいの時間、音
が響いているのかと計ったことがありました。すると、
その長さは3分30秒ほどでした。

私は鐘を撞く度、道元禅師様がお示しになった弁道話の
一節を思い出します。「空をうちて響きをなすこと橦の
前後に妙聲綿々たるものなり」というお言葉です。

「ほとけさまを感じながら生き、そして、生かされてい
ると自覚すれば、鐘を撞こうが撞くまいが、その前後に
かかわらず、その荘厳な音声は常に響き渡っている」と
いうような意味あいです。

なるほど、鐘の音は山に川に森に空に、そして人々の耳
に等しく届きます。取捨選択、分け隔てはありません。
鐘の音が響き渡る風景は、郷愁と共に穏やかで清らかな
心情を呼び起こします。

しかし、我々はどうかしますと、自らの損得次第で態度
を変えたり、自分に都合の悪いことは見て見ぬふりをし
てしまってはいないでしょうか?

響き渡る鐘の音のように、分け隔ての無い心を持ちたい
ものです。

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2018/12/11~20   心の塵を払う

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

師走を迎え、今年も間もなく終わろうとしております。
そろそろ年末の大掃除を始めようとしている方もいらっ
しゃるのではないでしょうか?

多くのお寺では煤払いをいたします。古来、正月の事始
めは12月13日からとされ、その日に煤払いを行いそ
の年の歳神様に感謝を申し上げ、新しい歳神様をお迎え
する準備を始めるというのが習わしでした。

現代でも、この時期、大きな神社やお寺での煤払いがニ
ュースで取り上げられ目にする機会もあるかと思います。

私も毎年お正月に向けて大掃除をします。煤払いをし、
普段行き届かないところを掃き、拭き、清めます。

毎年思うのですが、一年の間によくもこんなに埃が溜ま
るものだなあと驚きます。知らず知らずにどこからとい
うことなく集まった塵が溜まっているのです。

我々の心はどうでしょう?やらねばならないことが、こ
なしてもこなしても次から次へと舞い込んでくる。情報
が目まぐるしく早く巡り、無理矢理その速度に合わるよ
うな生活が続いてはいないでしょうか?そんな生活を続
けて、心にストレスという塵がいつの間にか、溜まって
はいないでしょうか?

道元禅師様がお悟りを開くきっかけになった「身心脱落」
というお言葉があります。「身も心も脱ぎ落す」と書き
ます。

しかし、耳で聞くと同じなのですが、道元禅師様の師匠
である如浄禅師様は「心塵脱落」とお示しになり、こち
らは「心の塵を脱ぎ落す」と書きます。

道元禅師様は身も心も脱落すべきと「身も心も」の方の
「身心脱落」をお示しになり、その方法は坐禅であると
仰っておられます。

「脱落」とは、自己のこだわりを離れ、心のをまっさら
な状態にすることです。

大掃除の終わった清らかな場所で姿勢を正し、息を整え、
静かに坐り、御自身の心の塵を落としてみては如何でし
ょうか?

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2018/11/21~30   心からの言葉を

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

お釈迦さまの言葉は、なぜ今も色あせないのでしょうか?
なぜ、2500年も前のお釈迦様の言葉が私たちの心を
とらえて離さないのでしょうか?

それは、その言葉の一つ一つが、お釈迦さまご自身の経
験に基づいたものに他ならないからです。ご自身の経験
で学んだ真実を話した。だからこそ、その言葉は人の心
に響くのです。どんなに立派な言葉でも、実践されたこ
とのない話では意味がないということです。

今から6年前のこと。私は、お世話になった老師が入院
したと聞き、札幌の病院に家族でお見舞いに行きました。
久方ぶりにお会いした老師は思ったよりは元気そうで、
子どもを抱っこしてくれたり、妻に愛媛での生活はどう
かと気を使ってくれました。

妻と子どもが売店に行くと、少し疲れた様子で老師はベ
ットに横になり、低い声で「隆弘さんは将来どんなお寺
さんになりたいんだい?」と聞いてきました。

「え?」私は一瞬、言葉に詰まりました。

「隆弘さんはまだ若いんだから、若いうちは失敗しても
なんとかなるから色々なことに挑戦し経験したほうが楽
しいよ」と、静かに話されました。

老師は、若い僧侶の指導で本山の永平寺に行かれた方で
した。また、布教師で全国を回ったり、教誨師もされて
いました。

その横顔には、挫折の度にまた頑張ろうと自身の心をふ
るい立たせてきた表情がにじみ出ているようでした。楽
しいことばかりでなく、人には言えないような苦しく辛
いおもい、今の老師を支えているのは、そんな様々な経
験なのかなと感じた瞬間でした。

老師は少し笑い「まだ時間はある、考えなさい」とだけ
私に言いました。私は結局、その質問に答えることが出
来ませんでした。当時の自分の境遇に満足してしまって
いたのかもしれません。

その後、私は「このままではだめだ。老師に少しでも近
づきたい」と一念発起して、厳しいことで知られている
東京での法話の研修を受けることにしました。今、私が
皆様の前で話せるのは、あの「どんなお寺さんになりた
い?」という老師の一言があったからです。

老師は最後に「本やテレビや人からの受け売りではなく、
自らの経験でしか手に入らない心からの願い、思いを語
れるお寺さんになりなさい。経験こそあなたの人生であ
り、支えであり、宝である」ということを教えてくれま
した。

皆さんにも様々な経験がおありだと思います。ご自分の
経験に培われた言葉はきっと人の心にも響く優しさにな
るはずです。心からの言葉を語りましょう。

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2018/11/11~20   今の積み重ね

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

私の両親は教師をしていたので小学校の頃は、よく祖母
の家に帰っていました。

祖母は私に優しく、夕ご飯を作ってくれたり、学校の出
来事を聞いてくれたりしてくれました。お店をしていた
のでいつも忙しそうにしていました。

重たいものを持つとき「おばあちゃん何か手伝おうか?」
と言うと「いいよ、いいよ」と笑いながらと言ってくれ
ました。たまには怒られもしましたが、そんな祖母が私
は大好きでした。

中学、高校と進むにつれ、部活、受験と、近くに住んで
いながらも、顔を出す機会も減っていきました。ですが、
私の成長を喜び、誰よりも心配してくれたのが祖母でし
た。

大学生の時、夏休みも終わり「おばあちゃん元気でね」
と挨拶し、祖母の元気な笑顔を見てからわずか一週間後
に突然、祖母は73歳で亡くなったのです。

朝方、母が急に電話をしてきて「おばあちゃん亡くなっ
たから帰っておいで!」私は受話器を握ったまま「えっ
!?」としか言えませんでした。

名古屋の大学にいた私は母の言葉が信じられないまま、
夕方、実家に帰りつきました。「あんたその格好で行く
つもり?」当時、金髪で耳にはピアスを付けていた私に
母が言いました。慌てて髪を黒く染め、ピアスを外し、
亡くなった祖母に会いに行きました。

私はまるで眠っているかのような穏やかな顔をした祖母
に手を合わせ ただただ悲しくて小さな声で泣くことし
か出来ませんでした。

今年、祖母は二十三回忌の法事でした。私は、祖母の位
牌、祖母の写真に手を合わせ「おばあちゃんありがとう、
元気で頑張っているよ」と感謝の気持ちで話しかけまし
た。

わたしはそのとき、あの悲しみにくれた自分の心が、今
ではなつかしさで満たされていることに気がつくと同時
に、ああこの気持ちの移り変わりも諸行無常ということ
なんだなあ、それを祖母が気づかせてくれたんだなあと
祖母への感謝が胸に広がりました。

無常とは、命の儚さ(はかなさ)をいうのではありませ
ん。全てのものは常に変化するということです。人も、
命も、自分の心でさえも、常に変化し続けるということ
です。

では、そんな自分自身とどう向かい合えばよいのでしょ
うか?

それは、今このときを大事に生きていくということに他
なりません。私たちは過去でも未来でもなく、常に移り
変わる今という時を生きています。大切なのは、今、今、
今という、今の積み重ねです。

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2018/10/21~31   ご縁を大切に

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

先日、朝早く、一人の女性がお寺に来ました。20代前
半くらいでしょうか。

「お参りですか?」と声を掛けると、
「はい、神社、仏閣が好きなんです。」と答えます。
「本堂に上がりますか?」と聞くと元気な声で
「はい。」と答えが返ってきました。
「写真撮らせてください」とスマートフォンを取り出し
て、本堂の写真を撮りながら、
「このにおいと、雰囲気いいですね。」と話します。
「ふすま絵も好きなんです、本尊さんは何ですか?」

お寺のことにやけに詳しいので話を聞くと、南予の出身、
学校を出て4年ほど京都に住んでいるときに、神社仏閣
に興味をもち、お参りをするようになったとのこと。最
近、松山に引っ越してきて、近くのお寺や神社をお参り
しているのだそうです。

彼女は
「最近、素敵な沢山のご縁があるので手を合わせて感謝
するんです。あ、そうだ」とノートを開き、メモを取り
始めました。
「何か書くことありますか?」と尋ねると
「今の気持ちをメモしておかないとすぐ忘れるんです」
と、終始笑顔で答えてくれました。
 
お参りをすませた彼女は、仏さまとの縁、私との縁、お
寺との縁、沢山の縁を結んで豊かな心で帰っていくよう
でした。

私はそんな彼女を見送りながら、私自身も良いご縁に巡
り合えたなあと心が豊かになりました。良いご縁は相手
も自分も豊かな気持ちにしてくれるのですね。

人は人との繋がりによって、ご縁が生まれます。多くの
ご縁との出会いを味わうのが人生だともいえますね。

もちろん、ご縁は自分に都合の良いことばかりではあり
ません。迷惑な事もあるでしょう。また、知らず知らず
のうちに迷惑を掛ける事もあるでしょう。

私たちの日々の生活は、そういったさまざまなご縁が複
雑に結ばれることによって成り立っています。そして、
そのご縁によって生かされているお互いです。

ひとつひとつのご縁を良いご縁にできるよう大切にすご
してまいりましょう。

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2018/10/11~20   執着を離れる

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

皆さんは携帯やスマートフォンをお持ちでしょうか?わ
からない単語を調べたり、天気予報を調べたり、とても
便利ですね。

ところが、その便利も時として、過ぎたるは及ばざるが
ごとしになる事があります。私は以前、食事の時にスマ
ートフォンを触っているとあまりにスマートフォンを見
る回数が多いので妻に取り上げられ、「誰からっ?」と
言われたことがあります。

私は「誰でもないよ」と言いながら、取り返そうと必死
です。「それ、今やらなければいけないこと?食事がそ
んなに暇なの?」。妻からそう言われ、初めてスマート
フォンを手放せない自分に気が付きました。

そんな妻とのやり取りをしていて、何年か前に参加した
講習会を思い出しました。その講習会ではスマートフォ
ンも録音も禁止されていました。5日間の講習会の期間
中は指定の場所以外ではスマートフォンの電源を切らさ
れたのです。

たった5日間のことですがはじめはとても戸惑いました。
急ぎの用事や大事な連絡が入ったらどうしようと思いま
した。

けれども、1日、2日したら慣れてきました。大事な用
事なら会場に直接連絡が入るだろうと考えるようになり、
スマートフォンがなくても平気なことに気づくと、電源
を入れたり切ったりすることの方が面倒になりました。
外との連絡が途切れると、なんだかとても落ちついた気
分になって、近くの人と話すようになり、結果、人との
繋がりの面白さを感じ豊かな時間を過ごすことが出来た
のです。

私は、あのときのことを思い出し、妻に謝りスマートフ
ォンを机の上に置き家族で食事を楽しみました。

スマートフォンを手許から離して机の上に置き、目の前
の人と話してみましょう。周りの人と話してみましょう。
きっとスマートフォンで得られる満足感よりも、もっと
豊かな満ち足りた時間がそこには流れるはずです。豊か
な時間を感じましょう。

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2018/09/21~30   心を豊かにする食事習慣

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

小学四年生の娘が先日、学校で生活習慣病検診を受けま
した。行政が希望者に実施していると学校から説明があ
りました。将来的に生活習慣病につながるリスクを減ら
すために早期の予防対策が必要とのことで、肥満に伴う
健康障害を主に検査していただきました。

現代は食習慣の乱れが指摘されています。朝食を食べず
に間食や夜食が増え、食べる物は肉中心の欧米食やイン
スタント、レトルト食品では、健康的な食事習慣とは言
えません。日本の食糧事情は豊かになり、お金を出せば
いつでもどんな物でも食べられるようになりました。し
かし、終戦間もない頃までは今では考えられない食生活
でした。

「ひもじかった頃の記憶」という本で、戦中戦後の日本
の食糧事情が紹介されています。米は食べられずトウキ
ビやサツマイモばかりで、雑穀や草や虫や、飢饉の時に
は筵を刻んで食べたそうです。食べられる物は何でも食
べたし、食べるほかなかったが、それでもひもじい思い
をしていたそうです。

昭和二年生まれのおばあさんは戦時中、腐った物でも胃
を痛めながら食べていたそうです。「あの頃の人がなぜ
長生きできようか、今の人は栄養のあるおいしいものを
食べているから長生きできるでしょうね」と語っていま
す。

食生活が豊かになったのに生活習慣病の不安を抱える現
代は、幸せで長生きできる時代なのでしょうか。著者の
渡辺裕二氏は同本のタイトルを『貧しかった頃の記憶』
にしようと考えていたところ、「心まで貧しかったわけ
ではない」として、今と比べて食べる物が十分でなくて
空腹を覚えたこともあったという意味で『ひもじかった
頃の記憶』にしたとしています。

食料品が有り余っている現代に心を貧しくすることがな
いように気を付けたいものです。

バランスの取れた食事が健康の基盤であることは言うま
でもありませんが、それに加えて、食事習慣も整えたい
ものです。

日本人には食事の前後に感謝をするという習慣が古くか
らあります。「いただきます」と「ごちそうさま」とい
う挨拶です。

忙しい時にはおろそかにしがちですが「いただきます」
と言ってから食事を始めましょう。食事に対する感謝の
気持ちを持てば、食事中に携帯電話や新聞やテレビが入
り込む余地はありません。ゆっくり味わって食べて、最
後にもう一度手を合わせて「ごちそうさま」で終わりま
しょう。

心と体は密接に関係しています。整った食事習慣は、私
たちの心と生活を豊かにしてくれるはずです

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2018/09/11~20   もったいない

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

曹洞宗は生活の全てを修行としていますが、特に食事に
ついては細かな作法が決められています。話をしない、
姿勢を正す、音をたてない、食器は両手で扱うなどです。

修行道場では坐禅堂で坐禅をして頂きます。そして、残
さず全て食べきることも作法ですので、必要以上にいた
だかないことになっています。

「もったいない」という言葉があります。「もったい」
とは「そのものがあるべき姿」のことで、それを無くす
こと、つまり「そのものがあるべき姿や値打ちが活かさ
れず、台無しになっている」ことを表します。

この「もったいない」という言葉の意味を考えさせられ
る出来事がありました。

先日あるお檀家のご法事の後の会食で、参列のご親戚方
と一緒に松山市内の飲食店を訪れました。故人の生前の
話やそれぞれの近況を語り合いながら、一人ひとりに運
ばれてくるコース料理を順番にいただきました。

前菜から始まって、お刺身、天ぷら、肉料理、釜飯、う
どん、茶わん蒸しと沢山出されて、みんなお腹いっぱい
になりました。一人ずつにコンロがセットされた釜飯は
一人分がお茶碗三杯ほどの量でしたが、私はせっかく出
された食事を残してはもったいないと思い、釜に米粒一
つ残さないようにきれいに食べて、最後に出されたデザ
ートのアイスも全て完食しました。

食べ過ぎて苦しかったですが、「残さず食べられた」と
満足していました。隣に座っていたおじいさんを見ると、
釜飯に箸をつけていません。お店の方からタッパーをも
らって、残った釜飯を持ち帰るようにしていました。
「これだけあったら二、三日分の食事になる」と微笑ん
でいました。

お店の方から「本日中にお召し上がりください」と言わ
れましたが、「もったいないから持って帰って、またば
あさんとおいしく頂こう」と言っていました。無理をし
て全部食べた私の、「もったいない」の考えは正しかっ
たのだろうかと考えさせられました。

禅寺の食事では自分が必要な量を給仕の方によそっても
らいます。必要なだけの量に応じていただくことから、
使う器を「応量器」といいます。

道元禅師様は、食事は健康を維持するための薬であり、
仏道を成就するためにいただくのだとお示しくださいま
した。空腹を満たし、命を繋ぐことが、食事本来の意味
や価値であり、「そのもののあるべき姿」すなわち「も
ったい」です。つい食べ過ぎたり作り過ぎたりすること
がありますが、必要な量をいただくことで、食事の「も
ったい」をなくさないように心掛けたいものです。

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2018/08/21~31   まごころが込められた卒塔婆

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

亡くなった方やご先祖様に対する身近な供養のひとつと
して、卒塔婆を建てることがあります。卒塔婆は古代イ
ンドでお釈迦さまのご遺骨を納めた塔を建てたことに由
来しています。

日本のお寺でも見られる五重塔の起源と言われ、五重塔
をもとに簡略化された角塔婆や板塔婆が現在の一般的な
卒塔婆です。

卒塔婆を建てることは亡くなった方の冥福につながるだ
けでなく、自分自身の功徳を積む行いでもあります。

私が住職を務めている寺では、年回忌のご法事の時には
ほとんどのお檀家様が卒塔婆を建てられます。年回忌に
当たる方お一人につき一枚の板塔婆を用意するのが通例
ですが、先日あるお檀家様から「卒塔婆は何本建てても
良いのですか」と聞かれました。お話を伺うと、「故人
の子どもや親戚の者がそれぞれ卒塔婆を建てて供養した
い」とのことでした。

めずらしい申し出だと思いましたが、卒塔婆は法要の施
主に限らず何本でも建てることができます。裏面に施主
の名前をお書きしますので、卒塔婆を建てたい方全員の
お名前を確認させていただき、それぞれのお名前を書き
ました。

全部で六枚の塔婆を用意して、読経の後にお墓へ参り、
全ての塔婆を建てました。墓石の裏の塔婆立てに収まら
なくて何枚かはみ出してしまい、「これだけ建てたら、
おばあちゃんはびっくりしているかな」とみんなで笑い
ましたが、ご遺族の方々の亡き人への思いが伝わってく
る心温まる出来事でした。

もともと、インドの塔は天と地を結びつける意味として
供養し礼拝されていたそうです。塔は様々な形に変化し
て、長さ一~二メートルの卒塔婆になりましたが、『卒
塔婆は、あの世とこの世を結ぶ手紙の役割を果たしてい
る』という話を聞いたことがあります。

卒塔婆の表面に書くご戒名は宛名で、裏面に書く施主の
名前は差出人ということです。

遺族の方々が、残された者の勤めとして亡き人を精一杯
供養していることを報告するものであり、故人が亡くな
った後もみんなが元気で仲良く暮らしていることを知ら
せるものだということなのですね。

そう考えると、先日の、あの六枚の塔婆は六通の手紙と
して、きっとおばあちゃんのもとへ届いているでしょう。
沢山の手紙を受け取って、にこにこと喜んでおられるお
姿が、目に浮かびました。

関東地方では、故人一人に対して複数の塔婆を建てるこ
とが一般的だそうです。塔婆に関する習慣は地域や宗派
によって様々ですが、亡き人を偲び、まごころという手
紙を届けることができたならば、きっと良いご供養にな
ることでしょう。

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2018/08/11~20   京都五山の送り火

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

京都では毎年八月十六日に五山の送り火があります。京
都はもちろん関西地方の夏の風物詩で、日本国内だけで
なく世界中から観光客が訪れています。

午後八時に東山の「大文字」から点火され、続いて「妙」
「法」の文字などにも次々に点火され、五山の文字が揃
います。遠くから見ても大きな文字や図形が、東から西
にかけて五ヶ所の山の中腹に赤く灯る有り様は本当に見
事です。

私は二十年前に一度だけ訪れました。事前に友人達と、
よく見える場所はどこか調べて計画を立てました。せっ
かくなら五山全てを一度に見たいと思いましたが、そん
な良い場所は抽選で入場を制限していたり、予約がいっ
ぱいだったり、入場料が高かったりで、なかなか入れる
ものではありません。一つをじっくり見たいと思っても
よく見える場所の情報はみんな調べていますので、人が
大勢で身動きが取れませんでした。そう簡単には見させ
てもらえないものです。

それでもなんとか鴨川の河原で大文字を見ることができ
ました。午後八時に点火した時には周囲で拍手と歓声が
あがりました。

幻想的な様子に息を呑んで眺めておりますと、友人が、
「火をつける仕事をしてくれる沢山の人のおかげだね」
とありがたそうに言っていました。

火床に木を組み上げて火をつける仕事をしてくれる大勢
の方々は、自分は見ることができない大きな送り火を、
何のために焚くのでしょうか? 

それは、お盆に帰ってきた先祖の霊をふたたび見送るた
めです。大きな送り火なら、先祖が足元も明るく帰れる
と考えたのでしょう。

私たちが玄関先や庭でおがらを焚くような一般的な送り
火と違って、とてつもない大規模な送り火となったのは、
古都の町の人々の深い信仰心が大きなエネルギーとなっ
たのでしょう。

それぞれの山で大変な準備と作業に携わる一人一人が、
亡くなった人を想いながら点火していたのです。観光で
訪れた人のために焚くのではありません。点火してもそ
の炎を見ることができない人たちにとっては、火を焚く
ことが大切なことで、実は最初から大文字を見る気はな
かったのかもしれません。

お盆には日本各地で様々な行事が営まれます。盆踊りや
提灯祭りや精霊流しなど、そこに一貫しているのは、亡
き人を偲ぶ心です。観光イベント化されても、一年に一
度、ふと立ち止まり先祖を追慕する心を受け継いでいき
たいものです。

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2018/07/21~31   他を思う心は強い

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師 

皆さん、昔話でおなじみの『桃太郎』はご存知ですね?
桃から生まれた桃太郎が優しいおじいさんとおばあさん
に育てられ、元気に育った桃太郎が鬼を退治して宝物を
持ち帰るというお話しです。

ところが私、先々月全く新しい桃太郎に出会いました。
今日はそのお話をしたいと思います。

この新しい桃太郎のお話は、ある女性がミャンマーとい
う国を訪れ、一人で車を運転して人形劇をしながら旅す
る中で生まれました。

おそらくそれは、恵まれない子供たちを目の当たりにし
た彼女が、優しいおばあちゃんのような心で、幼い子供
たちに「人とはこうあるべきなのよ」と伝えたかったこ
となのでありましょう。

ミャンマーから帰国した彼女は、その新しい桃太郎の人
形劇を日本各地で上演しました。すると沢山の人を感動
させ、いつの間にか、誰彼と無く巻き込んでの絵本造り
『桃太郎プロジェクト』が始まったのです。

これは、その新しい桃太郎のお話しです。

この新しい桃太郎は、昔話の桃太郎との大きな違いが二
つあります。でも今日はお話しの結末に絞って紹介した
いと思います。昔話の桃太郎では、鬼退治をして目出度
し目出度しとなるのですが、新しい桃太郎はそこが違う
のです。

どう違うかと言うと、鬼退治に行った桃太郎も最後まで
戦うのですが、最後の最後に、憎むべき鬼を許すのです。
三匹の家来にも許す心が芽生えるのです。

一緒に行った三匹の仲間、犬と猿と雉でしたね。桃太郎
はその三匹の家来と鬼たちと共に最後は笑顔となり、許
し許され仲良く暮らしていくと言うお話なのです。正に
ハッピーエンドですね。

現代社会はテレビや週刊誌・インターネットなど溢れる
ほどの情報が垂れ流しにされています。時には間違った
情報を鵜呑みにして、悪者と決めつけたり思いこまされ
たりすることもあります。

モノを語るとき、ナニかをしようとするとき、我々は今
一度立ち止まって周りを見渡さねばならないのではない
でしょうか?新しい桃太郎のように他を思いやる心を持
つ私でありたいものです。

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2018/07/11~20   善き出会いを

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

人には、自分の人生を揺るがすような出会いが何度か訪
れるものだと言いますが、皆さんはどうでしょうか?人
生を揺るがすような、あるいは支えになるような人や言
葉との出会い、何かありますでしょうか?

私の場合は、初めてお話しの勉強に行った時の、ある一
人の先生の一言に出会えたことが、私の人生に大きな影
響を与えて下さったと思っているのであります。

実は私、若いころ赤面症の悩みを抱えておりました。な
んとかそれを克服したい。出来る事なら、檀家さんの前
で堂々と仏法、所謂仏様のみ教えが伝えられるようにな
りたい。そう思って、法話の勉強会に通うことにしまし
た。

その勉強会には、全国各地から総勢六十名近い僧侶が集
まっていました。若い二十代の人も居れば六十をとうに
過ぎた方までいる中、私はと言えば四十を過ぎていまし
た…四十の手習いです。

一年間に三度、一週間。大きな部屋で寝食を共にしなが
ら研鑽する勉強会に足掛け八年通いました。その厳しさ
に脱落したり、お寺の事情ができたりで、同じ年に入っ
た仲間も年を追うごとに少なくなっていくんですね。寂
しい思いをしたことも正直ありました。

その勉強会で、仲間たちと共に、初めて法話の先生の前
で十分間のお話をした時の事です。勿論緊張するわけで
す。しかも赤面症です。そのお話しで与えられた、たっ
た十分という時間が、三十分どころか一時間にも長く感
じる程でした。

そして、講評の時間…講評される時も緊張して直立不動
でした。そのとき先生がこう仰ったんです。「伊藤さん、
ご苦労様。伊藤さん、ハッキリ言って本当にお話下手で
すね。でも、あなたに良いところがあります。お話しの
内容はともかく、お話を伝えようとする姿にあなたの人
柄が実によく出ていると思います。」と。

そういう講評をいただいて私の心には、「自分は矢張り
下手なんだなあ、駄目なんだなあ…」と、劣等感ばかり
が残りました。でも、それから数ヶ月が経った時、先生
が下さった講評のある一言を思い出したのです。「貴方
の人柄が実によく出ていた」というあの一言です。

それからです、私は下手なんだから、「法話をする」の
ではなく…まずは我が心を伝えられればと思ったのは。

道元様がこんな言葉を残して下さっています。「霧の中
を行かば、思わざるに衣湿る。善き人に出会えば、思わ
ざるによき人となる」と。善き人に善き一言に出会えた
おかげで、お話しの勉強を続ける勇気をもらえて、今こ
うしてマイクの前に座っている自分がおります。善き人、
善き言葉との出会いを大切にしたいですね。

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2018/06/21~30   まずは聞いてみる

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

前回、私が高血圧と診断されたときの不養生への反省を
込めて、道元様の「今こそ成すべきことをするのです」
とのお諭しをお話し致しました。今回は、そのお話の続
きであります。

実は私、よく連れ合いから「貴方は素直じゃないと!」
と言われるのです。言葉を替えれば頑固だと指摘される
ことしばしであります。

血圧が落ち着くまでという事で入院することになった病
院の先生から、入院してから何日か経って質問を受けま
した「伊藤さん聞くんだけどね?」と。「はい、なんで
しょう?」と答えました。

すると先生は「もしかして伊藤さんは、寝てる時、呼吸
が止まってるて、奥さんに言われたこと無い?」と言う
のです。「はい確かにあります。十数年程前からそんな
風に言われてはいましたけど…あまり気にしていません
でしたのでホッタラカシにしていました。」「やはりそ
うですか…」何で、もっと早く対処しなかったのかと少
し責められたような言葉尻でした。「伊藤さんの場合、
この無呼吸も高血圧の原因のひとつだと思います」と、
トドメを刺されました…。

ここのところが、私のいい加減なところと言うか、連れ
合いの言葉に耳を貸そうとはしなかった、いわゆる頑固
と言わるところなのでしょう。先生は更にこう言うので
す。「退院後、この紹介状を持って行って検査をして貰
いなさい」と。

おギャーと生まれて六十一年と半年、自分は健康だと決
めつけて健康診断も受けることなく来た私でした。年に
一度か二度行く献血の際にやってもらう血液検査で十分!
と、疑いの念さえ抱かなかった…ただ、どちらかと言う
とはっきりとた濃い目の味が好きだった…そんな私に再
度の鉄槌が下ったのでした。

お釈迦様が法句経にこう示されています。「人は常に自
ら心して量を知りて食をとるべし。さすれば、苦しみ少
なく老いること遅し」と。健康にて長生きが全てではな
いにしろ、人の話にも耳を貸せる生き方そのものが、量
を知るということでありましょうし、腹八分の生き方を
することが、結果、長生きを生むのでしょうね。

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2018/06/11~21   後で、ではなくて今なのです

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

六月の声を聞くと、暑さが急に進むような気がいたしま
す。暑いのが苦手な私にとってはウンザリする季節がや
ってまいりました。

さて、生きていれば至極当然なのかもしれませんが、こ
の私にも人生の過渡期が四月末に起きたのです。

至って健康だと自負する私に!でありました。

その日、お寺の役員さんと二人でお寺に程近いカレー屋
さんに食事に行った時のこと。テーブルに案内されて注
文をし終わった時でありました。「あれ?鼻水か?!」
と思い手で軽く鼻に指をあてたのです。そうしたら・・
鼻血だったのです。あれ?!と思い、ひと呼吸する間も
なく、今度は滝のように鼻から血がボタボタ流れ落ちま
した。それを隠すように、お店の人にティッシュの箱を
もらい、隠れるように店の外に出ました。

それからが大変でした。救急車で行くのも大げさだなと
思い息子に電話を入れ、迎えに来て貰い地元の大きな病
院へ行ったのですが、あいにくその日は耳鼻科の先生が
不在という事で診察してはいただけなかったのです。焦
りました…。

看護師さんは、鼻に詰め物をしておきなさいと言うので
すが、一向に止まる気配がありません。思い余って、息
子に他の病院を探して貰うと高知市内にある大きな病院
だけに耳鼻科の先生がいるとの情報を得たのです。そこ
からまた一時間、高知市内まで息子に連れて行ってもら
いました。その間も鼻血は出っぱなしでした。病院に着
いて先生に見て貰い、処置をしていただきました。でも、
帰る頃に、また大量に出血して緊急入院となってしまっ
たのです。

その時のピークの血圧が268という初めて目にする数
字でありました。先生曰く「頭の血管じゃなくて良かっ
たです」その日から血圧降下剤を服用することとなりま
した。

実に健康そのものだと思っていた自分がいます。いえ、
いたのであります。しかし、即刻入院となったあの日、
道元様の「他はこれ、我にあらず、更にいずれの時をか
待たん」というお言葉を思い出しました。「健康である
と過信してきた自分の態度をあらためて、今のこの時こ
そ、お医者様の言うことに耳を貸し実践する時なのだ」
と、道元様に諭されたように感じたのであります。

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2018/05/21~31   ほとけのいへになげいれて

講師 香川県 南隆寺 大石光昭師

先代住職(私の父)は私が十七の時、五十一歳でガンで
亡くなりました。当時は患者にはガンの告知をしないこ
とが多く、医者も家族も、ひたすら本人に隠して治療す
るということが多かったと思います。

患者本人の前では心配そうな顔やさみしそうな顔ひとつ
出来ず、家族もそういった感情をただおし殺すのみで、
本人も含め家族みんなの心の負担は大変なものでした。
告知をしたとて、それは変わるものではありませんが、
とにかく、入院中も退院後もその話題には触れないよう
にしていました。

最初の手術から約半年後に、父は再入院を余儀なくされ
るわけですが、入院しても快方に向かうどころか、点滴
や薬の数は増える一方で、退院できる目途も立ちません。
父も徐々にストレスがたまり、看病する母と口論になる
ことが増えるようになりました。余命幾ばくもない病人
相手に、本気でけんかをして、母が腹を立てて帰ってく
る事もしばしばでした。

先生も、ごまかしながらの治療や病状の説明、といえば
失礼になるかもしれませんが、父は、歯切れの悪い説明
に疑問を感じ、ある日主治医の先生に、無理を頼んでカ
ルテを見せてもらいました。

四十年近く前の話、もちろん電子カルテなどではなく、
手書きの英語かドイツ語だったのか、結局何が書いてあ
るか皆目分からなかったのでしょう。

それ以来、母との口論もしなくなりました。きっとすべ
てを医師に任せるしかない、と悟ったのでしょう。

道元禅師さまが、お示しになられた『正法眼蔵、生死の
巻』に「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のい
へになげいれて・・・」というお示しがあります。

まさにお示しのとおり、お寺の行く末やお檀家さんのこ
と、得度しかしていない弟子の私の将来のこと、そして
痛みや苦しみがどんどん増していく自分の身体のこと、
その他諸々すべてを仏さまにお任せしたのでしょう。

それからというもの、本当に人が変わったかのように穏
やかになり、母も父とけんかをして帰ってくるというこ
ともなくなりました。そして、その三ヶ月後、父は遷化、
亡くなりました。

筆や硯を病室に持ち込み、父に書いてもらっていたお法
事の卒塔婆も、亡くなる一月前には「もう、おまえが自
分で書け」と言われ、ベッドの横で練習したことを、つ
いこの間のことのように思い出します。

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2018/05/11~20   病気もおかげ

講師 香川県 南隆寺 大石光昭師

以前『おじいちゃん死んでないんやなあ』と題して、お
話しさせていただいたご家族のことです。

戦中戦後を生き抜いてきたおばあちゃんの口から出る信
仰に裏打された何気ない一言は、誠に含蓄のある言葉と
して胸に響くものがあります。

来年十三回忌を迎えるおじいちゃん(おばあちゃんの夫)
が脳梗塞で倒れた後、廊下に手摺りを取り付けたり、上
り口を簡単なスロープにしたりと、二人暮らしだった家
を応急的に介護リフォームされました。

しかし、その後も、二度三度と軽い脳梗塞を発症されて、
日常生活が少しずつ困難になってきました。度重なるリ
フォームも限界になり、家を何とかしなければならない
ということになりました。

しかしながら、「終の棲家と思って暮らしていた家を、
この歳で建替えるのは無理だし、病人を抱えての年寄り
二人だけの生活は不安だし」ということで、娘さん家族
と話し合い、身体の不自由なおじいちゃん、介護するお
ばあちゃん、娘さん家族、みんなが安心な策は?と考え
た挙げ句、「一緒に住む」ということになりました。

しかし、お孫さんと合わせて家族六人で澄むには手狭な
ので、思い切ってこの家を建替て同居しようということ
になったのだそうです。

紆余曲折ありながらも、ようやく新しい家が完成して家
族6人の生活が始まりました。玄関、廊下、お風呂、お
手洗いなど様々なところに、体の不自由なおじいちゃん
が暮らしやすいような配慮が見られます。

しかし、おじいちゃんは何年も経たないうちに手摺のつ
いたお手洗いさえも使えなくなって、新しい家に入って
わずか数年後に亡くなってしまいました。

そのご供養の、二七日だったか、三七日だったか、お経
の後でおばあちゃんがひとこと言いました。「和尚さん、
私はこう思うんです。『おじいちゃんの病気のおかげで
家族がひとつになれた』と。病気がなかったら、私、今
ここに“ポツン”と一人きりで座る羽目になってたと思
います。」

その横で、娘さん夫婦やお孫さん、近しいご親戚一同が、
おばあちゃんの言いたいことすべてを察したように「ウ
ンウン」とうなずいていたのが印象的でした。

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2018/04/21~30   こだわらないことにもこだわらない

講師 香川県 南隆寺 大石光昭師

私も今月で住職三十年になります。先代(父)から引き
継いだ坐禅会では、おかげさまで色々な方と出会うこと
ができました。これからお話しさせていただきますのも
坐禅会での一コマです。

もう二十年近くも前、ある七十才過ぎの男性はことある
ごとに、「私は何もこだわっていない」と言うことをよ
く口にすることがありました。

そんな方ですから、私が所用で坐禅堂に入るのが遅くな
り目が行き届かないときは、どうも作法をいい加減にし
ていたようで、「一所懸命に坐ることができるなら、前
後の合掌やお辞儀、面倒な作法はいらないのでは?」な
どと皆の前で言ったりと、私も少々手を焼いていました。

その頃はまだ、「墓じまい」とか「家族葬」という言葉
も耳にしない時代でした。でも、「散骨」とか「生前葬」
といったことがテレビ番組などで取り上げられるように
なりだした頃だったでしょうか。坐禅会後のお茶話しで
も、そういう話題になりました。

その男性曰く。「わしは息子に言うてあるんや。『わし
が死んでも葬式もせんでええ。墓も建てず、骨は山か海
に撒いてくれたらそれでええ。無駄な金は使わんでええ』
わしは何にもこだわってないけん」と豪語したのです。

他の会員の皆さんが少し辟易とした顔をした、その時で
す、その当時で、もう十年以上坐禅を続けている年配の
女性が「○○さん、あんたそれがこだわっとるゆうこと
や。死ぬ前から、『ああするな、こうするな。何もせん
でええ。』そんなこと言うたら息子さんが困るかもしれ
んでしょう?本当にこだわってないのなら、お葬式を派
手にしようが、地味にしようが、息子さんに好きなよう
にさせてあげたらいいんじゃないん?黙って死んで行く
んが本当にこだわってない人やと思うけど‥‥。」

不謹慎ながら私は内心してやったり。その男性は絶句。
次の週からは前後の作法も大切に坐禅に取組むようにな
ってくれました。

近頃、面倒なことはどんどん省いて、やりたいことだけ
やる。「やりたいこととやりたくないこと」「好きここ
とと嫌いなこと」自分の都合や嗜好に合わせた計らいで、
取捨選択していては「こだわらない」とはいえません。

先祖や親が懸命に承け継いできたものを、そのまま承け
継ぎ、次代へとそっくり伝えていくことも「こだわらな
い」と言うことなのです。

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2018/04/11~20   今、そこに立っているだけで

講師 香川県 南隆寺 大石光昭師

当山の坐禅会は先々代(祖父)の頃からやっていて、も
う六十年を超えました。その、「坐禅会のきっかけにな
った人」と言っても過言ではない方、Aさんは八十才を
過ぎて、つい昨年の春頃まで杖をついて毎週日曜の早朝、
お寺にやって来て坐っていました。

今年二月に開催された、高松での「禅をきく会」に介護
タクシーで来られ「去年、とうとう夫婦で施設に入って、
坐禅会に行けなくなったので寂しい。今日は坐禅会のみ
んなの顔を見に寄らせていただいた。」と仰っていまし
た。

さて、六十数年前の昭和二十七~八年頃、時あたかも世
界的禅ブームが巻き起こっていた時代でしょうか。Aさ
んが高校三年生の夏休み、受験勉強がはかどらないので、
友達と相談して二人でお寺にやって来たそうです。

むかしの古い庫裏の玄関に立ち、声をかけました。する
と奥から、当時としては大きな体格だった先々代(祖父)
が出てきて痰が絡んだような低い声で、「何しに来た?」
と。

まだ高校生であるAさんら二人は、おののく気持ちを振
り払うように、勢い込んで「坐禅をさせてください!坐
禅をすると集中力が付いて、受験勉強の効率が上がりそ
うなので」など言ったそうです。すると、先々代(祖父)
に「そんな気持ちじゃあ坐ってもなんにもならん!」と
一喝、門前払いされたそうです。

次の日、友達と「あのおじゅっさん(住職さん)、チョ
ット変わっとって面白そうや」、(ここで必ず「ワシも
変った学生やったんやろなぁ」と入るのですが・・・)
という話になったそうです。

一喝されたにもかかわらず、ノコノコと、しかしこわご
わとまたお寺にやってきて、玄関で「こんにちは~」と
言うと、既に声で分かったのか、前日とはうってかわっ
てニコニコしながら「おぉ!よう来たよう来た!」と言
いながら中から祖父が出てきて、何も聞かず「今、そこ
に立っとるだけで半分以上できたようなもんや」と言っ
て、中へ招き入れてくれたそうです。

「夏の日の夕方、薄暗い本堂で蚊に食われながら三人で
坐ったことが、つい昨日のことのようだ。」と、必ずそ
う言って締めくくります。

坐禅会に新しい人が増えるたびに『何事も第一歩を踏み
出すことの大切さと、その縁をもつことが出来た事への
感謝』を、私の代わりに説いてくださっていました。

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2018/03/21~31   見方を変えてみる

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

突然ですが、ひところ、卒業式でよく使われていた、海
援隊というグループの「贈る言葉」という歌をご存知で
しょうか?

「暮れなずむ町の光と影の中、去り行くあなたへ贈る言
葉。悲しみこらえて微笑むよりも 涙かれるまで泣くほ
うがいい。人は悲しみが多いほど、人は優しくできるの
だから・・・」

卒業・退職シーズンとなり、今年も、多くの人達が別れ
ていくわけですが、それだけではなく、新たな出会いも
また、始まるのですね。

私が住職をしているお寺では坐禅塾と称した坐禅会を行
っております。田舎町のことですから、そんなに大そう
なものではなく、こじんまりとした集まりです。

この坐禅塾に、一般の方に交じって地元の高校、桜が丘
高校のビジネス応援部というクラブの生徒さんが先生と
共に六名ほどで参加しています。そのクラブの生徒さん
たち数名の三年生がこの春卒業となり、就職する者進学
する者とそれぞれの道を歩み始めます。希望に満ち溢れ
ている青年たちの笑顔を見ていると、この私も嬉しくな
ってくるのです。

先日も、坐禅の後でお茶飲み話というか、「笑顔」と題
して、お説教をしたのです。「君たちがこれから社会に
出たり進学したりすると、親元にいるような訳にいかな
いよね。苦しいこと、悲しいこと、辛いことも、沢山あ
るだろう。生きるって、本当は苦しいことの連続で大変
なことなんださ。愉しいことなんてほんの一握りだと思
う。でも、昔のエライ和尚様が『苦しさの受け止め方次
第で、世の中違って見える』と言われたんだ。実に私も
そう思うんだよ。苦しいこと辛いことを乗り越えること
が出来た時、はじめて笑顔で人に優しく出来るものなん
だよな。」と。

みんな真剣な眼差しで聞いてくれていました。故郷を巣
立って行く若者たちに幸多からんことを祈りつつ、辛さ
苦しさを乗り越えて、笑顔でお寺に立ち寄ってくれる日
を心待ちにする今日この頃です。

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2018/03/11~20   興味を持たねば耳には届かない

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

この冬、北海道に住む小学生の孫二人が、JALのジュ
ニアフライトというサービスを利用して、孫たちだけで
飛行機を乗り継いで高知にやって来ました。

小学生のしかも女の子二人です。嬉しいの半分、うるさ
いの半分ではありましたが楽しい時間を共有できたよう
に思います。年配の方が、口々に仰る、「来て嬉しい、
帰ってなお嬉しい」という気分を存分に味わわせて頂い
たと言うお話です。

はるばる北海道から来た孫たち。地図でしか知らない高
知県を存分に味わってもらおうと、まずは高知城に連れ
て行きました。 

車中は勿論うるさいのです!道路わきの看板を見て「お
っきい顔のおっちゃんの顔がいる~っ!」と言うので、
見ると坂本龍馬の看板なのです。高知の有名人と言えば
坂本龍馬ですので簡単に説明したのですが、その説明が
終わる頃前には、もう違う話題に変わっていて、私の言
うことなど馬耳東風です・・・。

孫たちと騒々しい会話を繰り広げながら高知城に到着。
駐車場でお城の由来を簡単に説明して、いざ登城となり
ました。天守閣を見上げながら歩いていると、下の子が
こう言うのです「ねぇターダ、こんなデッカイお家、ど
んな偉いおっちゃんが住んでるの?」「えっ?さっき説
明したろう?何を聞いてたんだ、お前たち・・・」。本
物のお城を見たことの無い孫には、通じていなかったの
でしょうね。私の落胆などお構いなしに、天守閣では高
知平野を望みながら嬉しそうに走り回っていました。

ある和尚様から、こんな言葉を聞いたことがあります。
「見れども見えず、聴けども聞こえず」。

考えてみれば、私たち自身が幼き時、あの孫たちのよう
だったと思います。どんなに勉強しろ勉強しろと口うる
さく言われても、素直に受け入れられないことばかりで
はありませんでしたか?半面、自分の言いたいことは伝
えようとするんですね、これが。

どんなに自分の思いを伝えようとしても、受け入れる側
が聞く耳を持たない限り無理なんでしょうね、孫たちの
お蔭で、またひとつ勉強になりました。

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2018/02/21〜28   ホンモノの布施

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

昨年、法話の巡廻で長崎を巡ったときのお話です。それ
は諫早と言う街へ行く手前の佐賀駅でのことでした。

昼食を済ませて特急に乗り込み、少しウトウトしていた
私が、「次の停車は佐賀~佐賀、お忘れ物の無いように」
という車内アナウンスで目を覚ました時の事でした。

ある一人の女性に目が留まります・・・その女性は、佐
賀駅で降りようと出口へと向かう人たちの列に並ぶ、一
人の男性を目で追いながら立ったり座ったりしているの
です。

皆さんは、特急列車の背もたれに、自分のチケットを入
れるホルダーがあるのをご存知でしょうか? 

見るともなく見ていると、その女性の目は、チケットホ
ルダーのある場所と男性を交互に追っていました。そう、
彼女はその男性が、忘れたチケットにいつ気が付くのか、
気が付かないかと、心配していたのでしょうね。

しかし、降り口に向かう男性は、自分がチケットを忘れ
たことに全く気づいていないようでした。

佐賀駅で列車が停まると、辛抱堪らずに彼女は男性が座
っていたところのチケットホルダーからチケットを抜き
取って、その男性の元に小走りに駆けて行きました。

その後どうなったかは、振り向いてまでは確認しません
でした。では、渡したかどうか分かりませんよね?でも
心配には及ばず。

何故なら、自分の席に戻ってきた彼女は、隣の席の方と
笑顔でお話をされていて、その方も笑顔であったからで
す。

チケットを手渡された男性は、地獄に仏ではないけれど、
きっと「助かったー」と喜び、感謝したに違いないので
す。

これは、彼女の大いなる布施の行いですね。布施という
のは、知っているのに知らないふりをすること、見てい
るのに見ていないふりをすること、聞いているのに聞い
てない振りをすること。『それをしない心』、それこそ
がホンモノの布施なのですね。

私たち、胸に手を当てると、案外、知らない顔、知らな
いふりをしてはいないでしょうか?

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2018/02/11〜20   笑顔は優しい言葉への入り口

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

昨年、北海道は帯広へ三週間ほどの法話の旅に出向きま
した。皆さん、帯広と聞くと何を思い出されますか?

帯広は酪農王国と言われるほど酪農が盛んな地域ですが、
実は、スイーツ王国でもあるんです。ご存知でしたか? 
例えば、バターサンドやホワイトチョコで有名な六花亭
さん。他にも、北海道を代表する銘菓のお店や新興勢力
のお店が沢山あります。しかも、とてもお手頃な値段な
のです。

私、実は大の甘党なのですが、甘い物の中でも取分け好
きなのは?と聞かれれば、迷わずソフトクリームと答え
てしまいます。

北海道は広いです。一口にお説教に出向くと言っても、
お寺からお寺への移動に一時間半から二時間近く掛かり
ます。その間、運転して下さるお寺さまと色々な話をす
るんですが、そんな話の中で「何かお好きなものは?」
と聞かれると、「ソフトクリームですね。」と即答です。

すると、さすがはスイーツ王国帯広のお寺様方で「では、
もう少し走ると、ここいら辺りで一番美味しいと言われ
るお店がありますので案内しましょう」という事になり、
お寺さまイチ押しのお店に案内していただくのですが、
こちらは法衣を着たままの状態です。法衣姿の私を見な
がら、お店の方たちは決まって笑顔でこう言うのです。
「お坊さんもソフトクリーム食べるんですね!?」と。

私は思わず「坊さんだって甘党も辛党も両刀遣いも居る
で!」と、言いたくなるのをグッとこらえて笑顔で「帯
広のソフトクリームは濃くって安くってホンマ大好きで
す!」と答えるのです。

そうすると、お店の方が、満面の笑顔で「お坊さんもソ
フトクリーム食べるってなんだかとっても嬉しいです」
と、言うてくださるのです。

そしてその後は、美味しいソフトクリームをいただきな
がら、また違う話題で笑顔の花を咲かせ合うことが出来
るのです。不思議なものですね。

「和顔愛語=わげんあいご」という言葉があります。優
しさや思いやりに満ちた言葉が笑顔を作り出して来るも
のなんだとつくづく思った帯広での三週間でした。

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2018/01/11~20   喜捨=我儘を捨てる

講師 愛媛県 安穏寺 島津雄児師

大寒の空の下、「ほうー、ほうー」という声が響きます。
今年も寒行托鉢が始まりました。素足にわらじを履いた
雲水が、お経を唱え各家々を巡ります。
 
皆さんによく、「足が冷たいでしょう」と言われます。
足は、出かけるときには冷たいものの、歩いていると血
行が良くなるのか左程冷たさは感じなくなります。冷た
いのはむしろ足よりも手です。右手にはチリチリと鳴ら
す鈴を持ち、左手に「応量器」という器を親指、人差し
指、中指の三本の指で掲げるように持ちます。この指が、
寒風にさらされて実に辛いのです…。

托鉢に向かうとき、先輩の雲水さんから、「網代傘は深
くかぶり、顔を見せるな。いただいた時にお礼を述べて
はいけないぞ」といわれました。

何故かと問うたところ、「托鉢は大切な修行だが、浄財
を寄せる方にとっても『喜捨』という大切な修行だ。此
方が大仰にお礼など述べては、せっかくの修行の『徳』
が損なわれるだろう」と言われました。

「喜捨」は、喜んで捨てると書き「布施」ともいいます。
喜捨とは、喜んで捨てること。物でも心でも欲を捨てて
見返りを求めずに手放すことです。浄財の喜捨は、欲を
捨てるという修行をされているのだから、お礼を述べて
はだめだというわけです。

托鉢の時は、網代傘を深くかぶり、一心にお経を唱える
よう先輩の雲水から教えられたのには、そういう意味が
あったのですね。

どうでしょう?人に何かを上げた時、何かをした時は、
「喜捨」の気持ちだったのに、いつの間にか「してあげ
たのに」とか、「お礼の言葉が無いなぁ」などと、見返
りを求めている「我儘な自分」が出てきてモヤモヤした
ことはありませんか?

喜んで捨てる修行が「喜捨」。「してあげる」ではなく、
「させていただく」修行です。させていただくからには、
お礼は言ってもらうものではなく、むしろこちらが言う
べきことなのですね。

「喜捨」を徹底する事は難しい事ですが、「我儘になっ
てないかな?」と振り返るようにしましょう。そうして、
少しずつ自分の心を調えていきましょう。

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2018/01/11~20   調った私で、新しい歳を

講師 愛媛県 安穏寺 島津雄児師

あけましておめでとうございます
皆さんはどのようなお正月を過ごされましたか?私は、
三が日の間新年のご祈祷を修行したり、お参りに来た
お檀家さんと新年の挨拶をしたりしながら過ごしまし
た。

禅の修行道場では、大晦日に除夜の鐘を突き、年が越
したところで新年のご祈祷を行って就寝。元旦の朝は、
普段通りに4時前に起床して、普段通りに坐禅が始ま
り、普段通りに朝のお勤めが始まります。
  
出家して修行の道に入るまでは、世間一般の生活をし
ていた私には驚きの元旦です。それまでの元旦は、の
んびり起きて、テレビの前で、こたつでおせちに、お
屠蘇を…という所です。当然のように「お寺だって、
正月くらいはのんびりと」と思っておりましたら、こ
とごとく普段と同じ修行の生活が始まったのでした…。

曹洞宗を開かれた道元禅師は、新年にあたってのお示
しを漢詩(漢文の詩)にして何篇か遺しておられます。
その中の一篇を現代の言葉にすると

『無事に歳が改まった元日の朝も普段通り坐禅にいそ
 しんでいる。世間を眺めれば皆お祝い気分一色だが、
 なすべきことをなして過ごすのみである』

つまり、道元禅師は、元旦は一年の始まり一月の始ま
り一日の始まりだからこそ、自分自身を調えて、平常
心で臨みなさいとお示しになっておられます。たとえ
元旦の朝であろうと、普段と変わらないことこそが坐
禅そのものなのだと示すのです。

元旦の朝、道元禅師の言葉をかみしめながら、本堂で
坐禅を組みます。ピーンと張りつめた冷気に身が引き
締まります。徐々に外が明るくなってきて、新玉の春
の夜明けです。新しい始まりに、調った自分。言葉に
ならない清々しさと新年の希望に包まれました…

新年を迎え、三が日をお正月気分でただただのんびり
過ごすだけでなく、自分自身を調える時間をもってみ
てはいかがでしょう?

まずは、背筋をスーッと伸ばします。次に、一度大き
く息を吐いて、それからゆっくり深く静かに呼吸を続
けます。ほんの少しでも静かに坐り、わが心を調える。
調った心、調った私で、新しい歳に向かいましょう

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2017/11/21〜30   四摂法(ししょうぼう)

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

皆さんは「誰かのために何かできないかな」と思ったこ
とはありませんか?仏さまは、他人のために役にたつと
いう事は、自分を救う道であり慈悲の心であると示され
ました。

仏教には慈悲の心の実践するための『四摂法』という教
えがあります。
布施(ふせ)分かち合うこと。
愛語(あいご)優しいことば。
利行(りぎょう)人のためになることをする。
同事(どうじ)相手の立場に立って物事を行うこと。
これを四摂法といいます。

皆さんは、托鉢をしているお坊さんを見たことはありま
すか?ある老僧が「托鉢をする時は、自分の誓願も大切
だが、何よりも相手の気持ちがよく伝わってくる。いろ
んな感情に出会う。」と話されていました。

最初、私はその意味がよくわかりませんでした。托鉢の
何たるかが、よくわかっていなかったからです。しかし、
災害で被災された方々の復興の一助にと托鉢を行った時、
老僧の話していた意味が初めてわかりました。

本当に多くの方が足を止めて浄財を寄せてくださいまし
た。大人、子供、会社帰りの方、学校帰りの学生さん、
買い物途中の女性からも善意を寄せて頂きました。浄財
を頂く側の私に手を合わせてくる方、「頑張ってくださ
い」「お願いします」と声をかけてくれる方、無言のま
ま寄進される方。お気持ちの表し方はさまざまでしたが、
被災地の為に何かしたい、困っている人を助けたいと思
っている人が多いことを感じました。

私は、この托鉢こそ四摂法の実践だと思いました。自分
のものを惜しまず与える布施の心。有難うございます、
頑張ってくださいという愛語の心。困っている人に手を
差しのべる利行の心。自分の事のように心配する同事の
心。四摂法のすべてが托鉢にはありました。

私たちはけして一人で生きているわけではありません。
生きていく上で、必ず繋がりを持ちます。その繋がりを
より良いものにしていく為には、人が喜んでいる時は共
に喜び、人が悲しんでいる時は共に悲しむ。共に歩む実
践こそが仏教の説く四摂法であり、慈悲の心なのです。
今から今日から、身近な人との関わり方から、始めてみ
ませんか?

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2017/11/11〜20   思いやり

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

私は、トイレ掃除をするときトイレットペーパーの先を
三角に折ります。この習慣は、十八年ほど前、福井の永
平寺で修行中に教えられました。

曹洞宗の修行は、禅宗なので坐禅は当たり前ですが、食
事、お風呂、掃除、生活のすべてが修行になります。修
行である以上、それぞれに作法がありその作法の中で生
活をします。

トイレ掃除の仕方にも作法があり、その中のひとつがト
イレットペーパーを三角に折るということでした。

あるとき、同輩と3人でトイレ掃除をしていたときのこ
とです。先輩による掃除の点検中にトイレットペーパー
が三角に折れていないことを指摘されました。

先輩は低い声で、聞いてきます。「どうしてトイレット
ペーパーは三角に折るかわかるか。誰か、答えてみろ」
「はい、トイレを掃除し終わったということです」と友
人が答えます。すると先輩に「ここはホテルではないぞ」
と問い返されました。それならばと、私は「道元禅師様
の教えだからです」と答えました。

曹洞宗は鎌倉仏教です。道元禅師様の時代にトイレット
ペーパーがあるわけがありません。それなのに先輩は、
「そうだ、その通りだ」と真顔で答えたのです。

「え?当たった?」私は内心驚きましたが、先輩はさら
に続けて「じゃあその教えとはなんだ?」私はその先を
答えることができませんでした。「わからないなら明日
もトイレ掃除だ」と言い残して先輩は戻って行きました。

私は焦りました。答えがわからなかったら毎日トイレ掃
除だ。必死で考えましたが、答えは出てきませんでした。

トイレ掃除がそれから三日続き、あきれた先輩から「三
角に折ってあったら使いやすいだろ、相手に対しての思
いやりの行動だ。思いやり、それが道元禅師様のみ教え
だ」と答えをいただきました。

私はその時はじめて、トイレットペーパーの三角折りが
次に使う人の為、取りやすいようにという思いやり、慈
悲のこころの行いだったのだと気づかされました。私は
トイレットペーパーの三角を見るたびそのことを思いだ
します。

思いやりを行動にいたしましょう。

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2017/10/20〜31   脚下照顧(きゃっかしょうこ)

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

あるお寺の掲示板に、次のような言葉が書かれていまし
た。

履物をそろえて脱ごう
心がおちつく
履物が乱れていたら
そっとそろえておこう
みんなの心がおちつく

皆さんは、普段から履物を揃えておられますか?実は、
先日、約束の時間に遅れそうになって急いで出かけた
ところ、忘れ物をしたのに気が付いて、慌てて履物を
揃えないまま、それを取りに戻りました。間の悪いこ
とに、ちょうどそのとき小学校一年生の子供が学校か
ら帰ってきて、「お父さん靴が反対だよ!」と言われ
ました。

私はつい、「いいのいいの、すぐ出るから」と言って
しまいました。しかし同時に、(あっ、違う。そうじ
ゃない。どんなに急いでいても言い訳にならない)と
思い直し「そうだねお父さん靴反対に脱いでいたね」
と真っすぐに直しました。

子供は笑いながら「急いでいても靴は揃えないとだめ
だよ」と言っていました。

これくらいまあいいかと思う少しの油断が、私の行動
に現れた瞬間でした。履物を揃えるのに、すぐにまた
出るとか、ちょっとの時間だからとか、そんなのは関
係ないことですね。

では、なぜ履物を揃えなければならないのでしょうか?

お寺の玄関で「脚下照顧=きゃっかしょうこ」という
額を見かけることがあります。禅宗のお寺では好んで
使われる言葉で、一見すると「脚元を見なさい、履物
をそろえましょう」というふうに解釈されがちです。

しかし、真意はもっと深いところにあります。脚下と
は自分の足もとのことを指していますが、単なる足も
とではなく、現在只今の自分ということであり、今の
自分自身を考えさせる言葉なのです。

今の自分を考えるには、心に余裕がないと出来ません。
どんなに忙しいときでも、急いでいるからこそ履物を
そろえて脱ぐくらいの心の余裕が必要です。履物を揃
える心の余裕が、今の自分を知ることに繋がります。
あなたが今脱いだ履物、きちんと揃っていますか?

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2017/10/11〜20   今、ここ

講師 愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

私は以前、十年ほど札幌のお寺でお世話になったことが
あります。この時大変目をかけてくださった、ご老師が
おられました。

そのご老師が八十代になり、体の調子も悪く、一緒に法
要お通夜に行く機会も減ってきましたある日、久しぶり
にご一緒にお通夜に出かけることになりました。

お通夜の後の法話の時、ご老師の話が突然止まりました。
私は『あれっ?』と思いましたが、法話はそのまま終わ
ってしまいました。

お通夜からの帰り道、ご老師が突然、「生きるとはどう
いうことだと思う?」と聞いてきました。私は少し考え
「目的を持って、それに向かって生活することではない
でしょうか?」と応えました。

するとご老師は「若い人にはそれも大事だね。でも、健
康な人はいいけど、なかなか目的が持てない人もいる。
誰もが健康にゆっくりと歳を重ねるってことは出来ない
のだよ。」と言われました。

私は「では、生きるってどういうことなのですか?」と
たずねると、「今、ここに存在しているということだ。
今のこの一瞬だ。今日お通夜のお話が突然止まったのも、
今の私の姿だ。昔はすんなり出来たものが、今は出来な
くなった。そんな今の自分をどう受け入れるかだ。」と
話されました。

私たちは生老病死を受け入れられないから苦しみます。
誰もがこの苦しみを嫌い、思いたくないと感じます。過
ぎ去ったもの、出来なくなる恐怖、移り変わる自分を観
察したとき、過去を追ってしまいます。

生きがいを持つ、目的を持つ、大切なことですが、その
目的や、生きがいを、果たし探すために私たちは生きて
いるわけではないという事、自分のすべてを受け入れ、
ただひたすらに今を生きる、体が動く限り自分のあたえ
られた役割を果たす。ご老師が最後に私に教えてくれた
ことです。

今日という人生をいかに生きるか、限りある命を感じる
ことができれば、私たちの生き方は必ずかわります。皆
さんにとって生きるとはどういうことでしょうか?

生きているのは今日只今。今、ここにいる私。今、ここ
にいるあなたです。

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2017/09/21〜30   恩返しは恩送り

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

先日、あるご婦人のお葬式に出向きました。その方には、
お二人の小学生のお孫さんがいらっしゃいました。

お通夜の席から、翌日のお葬式まで下の男の子のお孫さ
んは、大声は出さないにしろ、普段経験しない雰囲気に
興奮したのでしょう。ウロウロして落ち着きのない様子
でした。

しかし、葬儀が終わり、斎場に赴き、お棺を炉に入れた
直後でした。文字通り、堰を切ったようにその男の子が
激しく泣き始めたのです。ゆっくり閉まる仕切りのドア
の向こうのおばあさんに、声にならない声を、嗚咽に混
ぜ込んで送っておりました。はっきりとは聞き取れなか
ったのですが、「おばあちゃん」という声が私の耳に届
きました。

拾骨が終わり、初七日の法要後、私はお孫さんに次のよ
うなお話を致しました。

「今日、火葬場で君の涙が私に教えてくれたことが三つ
ありました。一つめは君が本当に、おばあちゃんのこと
が好きだっただなあってこと。二つめはおばあちゃんも、
君のことが本当に大好きで君にとっても優しく接してい
たんだろうなあってこと。三つめは本物の愛情を君は知
っているということです。
辛いことだけれども、この世の中には大好きな人、大切
な人といつまでも一緒にいたいなあと思っても、いつか
は必ず、お別れしなければならないという苦しみがある
んだ。そのことをおばあちゃんは今日、君に教えてくれ
たんだよ。その苦しみを知った君には、同じ立場になっ
たお友達や周りの人の気持ちがよく分かるようになるは
ずだ。君が心の底から優しい言葉を掛けることができる、
優しい人間になって欲しいって、きっとおばあちゃんは
願っているよ。」と。

死とは、苦しみ、悲しみ、或いは後悔を伴うお別れです。
同時に、故人から頂いた愛情と御恩を振り返り、向き合
う機会でもあります。その愛情、御恩を自分自身に留め
置くだけでなく、周りの方に向ける行い。いわゆる恩送
りも、故人への供養、恩返しのひとつかもしれません。

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2017/09/11〜20   初心

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

私の師匠は現在満九十歳。数え九十一歳になり、今年で
住職として七十五年を迎えます。昭和十七年に先の住職、
師匠の父が急逝し、弱冠十六歳の時から、お檀家様のご
支援を頂きながらお寺を護持しております。

師匠は折に触れお檀家さんに「故人の夢は見ますか?」
と尋ます。たいていの方は「いいえ見ません。」とお答
えになります。それを聞くと師匠は「そうですか。きち
んとご供養できましたね。」などと返します。

けれども、一度だけ、いつも通りの答えに加えて、「実
は私は母の夢を時々見るのです。」と話したことがあり
ます。

前述した通り、師匠は長きに亘り当山を護持し続けてま
いりました。然しながら、師匠の中には、未だ母の願い
に応え尽くせていない、御恩に報いきれていないという
思いがあるのではと感じられずにいられませんでした。

師匠は、早くに夫に先立たれたことに加え、お檀家様の
少なかった当山の先行きを案じて涙する母を見て、十代
でお寺を護持する決意を固めたそうです。その初心を忘
れることなく、また母の涙を心に刻み続けていることに
私は心動かされました。

『相続也大難』と言う禅語があります。「初心を保ち続
け、行いを継続していくことは大変困難なことである」
という意味です。

初心を保ち続けるという事は大変難しいことです。私た
ちは長年同じ境遇にいて同じことを繰り返していますと、
慣れが高じて、何となく惰性で繰り返すだけになりがち
です。或いは又、慣れ親しんだことだから、集中しなく
ても努力しなくても出来ると慢心してしまいがちです。
今の自分が誰かのお役に立てているのか、正しい行いが
出来ているのか、常に自らに問い続け、今を積み重ねて
いきたいものです。

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2017/08/20〜31   かんのんさまの眼

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

皆さんは観音様をご存知でしょうか?日本では最も身近
と言って良い菩薩様です。観音様はこの世の生きとし生
けるものすべてを救うため、相手の苦しみに合わせてそ
のお姿を様々に変えてお救いになることでも知られてお
ります。

先日、当山に於いて、曹洞宗管長猊下の特命を受けて派
遣された和尚様による法話の催しがございました。

ご説法の前日に特派布教師様をお迎えしての粗宴を設け
たのですが、その席で特派布教師様にこうお尋ねました。
「今まで聴衆が少ない教場は何名くらいでしたか?」と。
そのお答えは「6名」でした。

私は驚き、重ねてお聞きしました。「その人数でご法話
は出来たのですか?」と。すると「いやぁ、普段してい
るようなお話は出来ませんでした。そこで、演台を下り
座布団を敷いて、お茶を飲みながら車座で世間話の体で
させて頂きました。」とのお答えでした。

特派布教師様が演台を下りられ、聴衆と車座になって同
じ目の高さでお話される姿を思いうかべたとき、そのお
姿が私には観音様と重なりました。

相手との距離を縮めたいと願うときには、相手の気持ち
をなるべく理解しようとする意志が必要です。その意志
を持ったとき、自分の目の高さは自ずと、相手の目の高
さに近づきます。なぜなら、相手との最短距離は上から
でも下からでもない、同じ高さでの距離なのですから。

いつでも、どこでも、どんなときであっても、相手と同
じ目の高さを持つ観音様の目を心がけましょう。同じ目
の高さになった時、はじめてお互い気持ちが通じやすく
なり、『あなたと共に』の心が生まれてくるというもの
です。今までとは違った見方や感じ方が出来る、新しい
自分自身に気付くはずです。

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2017/08/11~20   お盆によせて

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師 

今年も季節は巡りお盆を迎えます。
御存知の通りお盆は御先祖さまが皆様の元に帰ってこら
れる期間と言われております。

お盆のお勤めに車で移動していると、ラジオからは盛ん
に帰省ラッシュや高速道路の渋滞情報が聞こえてきます。

お勤めに伺ったご家庭では、暑い盛りに長旅でぐったり
しながらも故郷に帰ってきた息子さんや娘さん、そして
お孫さん。お孫さんを見て、顔を綻ばすおじいさん、お
ばあさん。久しぶりの再会に戸惑いながらもいつの間に
か、所狭しと家中を駆け回る子どもたち。酒を酌み交わ
しながら、近況の報告、昔話に花を咲かせる大人たち。

そんな様子を、微笑みながら静かに見守っているのが、
きれいなお花や沢山の心づくしがお供えされた霊壇の向
こうの、ご先祖様の遺影です。

そのような光景を目にし、温かい雰囲気を感じておりま
すと、盂蘭盆会御和讃の「みほとけを よろこび迎えし
盂蘭盆会 いのちの集い 有り難や」という一節を思い
出します。

それぞれの人がそれぞれの生活を営みながらも、なんと
か都合を合わせて一堂に会し、ご先祖様を迎えること。
悲喜交交、繰り返す人生を懸命に生きるその姿を、お互
いが励まし合えること。無事に集まれたことを喜び合え
ること。そこにお盆の行事の有り難さを感じます。

皆様が、慈しみ溢れるお盆を過ごされることを心より願
っております。

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2017/07/21~31   知っているということ

講師 徳島県 城満寺 田村航也師

私は学生のとき、インドの宗教を勉強いたしました。仏
教がインドから伝わってきたということで、そのインド
の宗教を、仏教を含めて、勉強しようと思ったのです。

インドの言葉も学習して、宗教書もいろいろ読みました。
そして、いよいよ現地調査をしようと、勇んでインドの
高名な宗教者のもとに、乗り込んで行ったのです。

インドという国は、私たちの母国日本とはかなり様子が
異なっていました。

たとえば有名な話では、インドの方々はご飯やおかずを
手で食べるのです。なかなか慣れることができず、イン
ド人の友達に、「インドでは手で食べるけど、清潔感が
ない」と言いました。すると友達は、「そんなことはな
い!食堂の食器なんて、私達の前に誰が使ったか分から
ないぞ!それに引き換え、自分の手は、世界で唯一、自
分だけの食器じゃないか」と言われて、なるほどと唸っ
たことがありました。

そんな経験をしながら、宗教者のところに参りました。

その方は、「この宗教書を知っているかね」と私に尋ね
ました。勉強したことがあったので私は、「はい、知っ
ています!」と答えました。するとその方は、このよう
に言いました。「そうか!では、冒頭の部分から言って
みなさい」

私は、顔を真っ赤にして俯きました。勉強して全体の内
容は頭に入っていても、まさかすべて暗記はしていなか
ったのです。

「頭に入っていなければ、実践もできないではないか」
と、その方は言いました。

インドでは、『知っている』というのは、『隅から隅ま
で頭に入っている』さらには、『その知識を実践してい
る』ということだったのです。

昔は私たちも、漢文の素読や、古典の暗記などを、よく
させられたものです。「行く川の流れは絶えずして」な
どと、意味は分からなくとも諳んじているうちに、年を
取ってから、はっと気が付くところがあり、本当に自分
のものになるという経験は、よくあることです。

お経も同じようなもので、人生を幸福に生きるための実
践へと導く知識にあふれています。そして、お経や古典
のそのような知識こそが、私たちの人生の中で、深い味
わいとなっているのではないでしょうか。

あまりに多くの情報が流れて行く現代社会の中で、私た
ちの身になっている知識、自分の本当に「知っている」
ものをもう一度見直し、その良さを次の世代に伝えてい
かねばなりません。

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2017/07/11~20   聞くということ

講師 徳島県 城満寺 田村航也師

私は学生の時、仏教の源流を知るためにインドの宗教を
研究しておりました。研究のために、インドの言語も学
習し、インドでの合宿勉強会にも参加しましたし、現地
の友達も作りました。

インド全体の公用語としては、話す人が最も多いヒンデ
ィー語とともに、英語も公用語とされています。実は、
インドにはたくさんの言語があり、インドの人同士でも
英語でなければ会話ができない場合もあるのです。

面白いのは、インドの紙幣です。たとえば日本の二千円
札には、漢字で大きく「弐千円」と書いてあります。イ
ンドのお金の単位はルピーですが、5ルピー紙幣にはな
んと十五の言語で「5ルピー」と書いてあるのです。同
じ国の言語なのに、お互いに文字を読むことすらできな
いということがあるのです。

そういうわけで、インドの方々は日常で英語を使うので、
とても流暢に英語を話します。しかし、インドの言語の
発音に影響されて、私たちが学校で学習する英語とは、
かなり発音の異なる英語となっています。私にとっては
大変に早口で、聞き取りにくい英語でした。

そんな中で私は、インドの友達と他愛もない会話をする
時などは、聞き取ろうとする努力もせず、適当に聞き流
す癖がついてしまいました。

ある日、私の友達の中で、先祖伝来の儀礼をとても大切
にする家庭に生まれた方とお話をしていたときのことで
す。

楽しく会話していたのですが、その友達は、私が話して
いる時に、両耳に手を添えながら話を聞き、相槌を打つ
のです。私はなんとも奇妙に思い、その友達に聞きまし
た。

「両耳に手を当てているけれども、わたしの話は聞こえ
にくいのですか?」その友達は答えました。「いいえ、
違います。私は、大切なあなたの話、大切なあなたの声
を、少しも漏らさず聞くために、手を当てているのです」

私は衝撃を受けました。言われてみれば、私の発する声
は、すべて彼の耳に吸い込まれていくかのようです。私
は、会話の細かいところを流して聞いていた自分を恥じ
ました。

後で知ったのですが、両耳に手を当てるのは、神の声や
師匠の声を聞き洩らさないためにする、インド伝来の儀
礼の所作でした。

このように神や仏の声、人の声に耳を傾けることが、は
たしてどれほどあるでしょうか。ともすれば、自分の主
張のために相手の話を遮ってしまうようなことが横行す
る今日、このインドの友達の姿は、私の脳裏から離れる
ことがありません。

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2017/06/21~20   私たちは繋がっている

講師 徳島県 城満寺 田村航也師

私は学生時代、インドの宗教を勉強していました。実際
にインドの現地に行かなければ分からないことも多く、
何度かインドを訪れました。訪れるうちに、列車で隣に
乗り合わせた方や、サイクルタクシーの運転手さんなど、
現地の方々の友達もできました。

インドの方々の習慣というのは私たちと正反対のことも
多く、慣れるまでかなり時間がかかりました。

たとえば、相槌の打ち方。
私たちは、「はい」の時は首を縦に振り、「いいえ」の
時は首を横に振りますが、インドの方々は、「はい」の
時には、首を大きく横に振るのです。この習慣に慣れる
までは、とても奇妙な感じがしたものでしたが、不思議
と、現地の友達と交流する中で慣れていき、自分もすっ
かり同じようにするようになり、日本に戻った時にその
習慣がしばらく抜けずに大変困りました。

また、インドの友達に会いますと、「元気だったか?勉
強はうまくいっているか?」と、歓迎してくれます。そ
して、さらに続けて、「お父さんは元気か?お母さんは
元気か?兄弟はどうしている?おじいさん、おばあさん
は?」と、立て続けに訊いてきます。

これにも私は、戸惑いました。私の両親や兄弟、祖父母
とも、会ったこともないのに、どうしていちいち訊いて
くるのだろう。しまいには、いちいち面倒だな、会った
こともないのに失礼ではないか、とまで思うようになっ
てしまいました。

それでも友達は、「元気だよ」と答えるといちいち喜ぶ
ので、ある時、ついに訊いてしまいました。「あなたは
私の家族と会ったこともないのに、どうしてそんなに気
にするのですか?」友達は笑って答えました。「だって
さ、君の家族が元気で幸福なら、君も幸福だろう。だか
ら、君の家族が幸福なら、友達の僕も幸福で嬉しいんだ
よ!」

私は、心の中で、何かがぱあっと開けたような気がしま
した。

そうか、私たちは繋がっていたんだ。人間はひとりひと
りに見えるけれど、家族も、友達も、皆、繋がっていた
んだ!と。

仏教では、どんなものでも単独で、それ一つだけで存在
するものは無いという私たちのあり方を、「縁起」と言
います。

私は、家族とさえも繋がれていなかったかも知れない自
分を見、また、その「縁起」の一端を、この時に初めて
見たのでした。

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2017/06/11~20   ぼくらはみんな生きている

講師 徳島県 城満寺 田村航也師

私は仏教発祥の地であるインドに憧れ、学生時代に何度
かインドを訪れました。

初めてインドを訪れたときは、驚きの連続でした。例え
ば、タクシーに乗って信号待ちをしていたら、物乞いの
子供たちが窓のところに群がってきました。そんなとき
皆さんならどうなさいますか?私は可哀そうに思って小
銭を渡していました。

ところが、小銭を受け取った子どもたちが走り去る姿を
目でおっていたら、交差点の脇で座ってこっちを見てい
る大人がいることに気が付きました。なんとそれは、子
供たちの元締めで、子供にあげた小銭を全部取り上げて
いたのです。腹が立って睨み付けたら、ニコッとして手
を振ってきました。そのとき私はインドとの間に、乗り
越えがたい壁があることを痛感しました。

またある日のこと、道路を横断しようと思って見てみる
と、道路の真ん中に牛が寝そべっています。インドでは
牛は神の動物とされていて、みんなこの牛をよけて通り
ます。そのため後ろの方は大渋滞、しかも、牛をよけた
後の車は猛スピードで急加速するのです。自動車の切れ
目を探っていると、いつの間にか私の足元に犬が寄って
きていました。よく見ると、私と同じように車の流れを
見ています。いよいよ車の流れが切れて私が渡り出しま
すと、なんと、この犬も一緒に道路を渡るのです。

この時、私の胸に、はっと閃くものがありました。そう
か、牛も犬も人間も、何もかも一緒に生きているんだ!
人間と犬とは違うと当たり前のように思っていたけれど
も、みんな一緒に生きているんだ!と実感したのです。
私たちは、この地球でみんな一緒に生きていたのです。

タクシーに乗って交差点で感じたインド人と私との壁。
道路を渡ろうとして感じた人間と動物という壁。お釈迦
さまの生まれ故郷インドは、私の中にあった様々な壁を
すべて取り払ってくれたのでした。

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2017/05/21〜31   誕生日は感謝の日

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師 

皆さんはご自身の誕生日をどのように過ごしておられる
でしょうか。

自分がこの世に生まれた日は、年に一度の大切な記念日
です。家族や友人に囲まれて祝ってもらう人、恋人と二
人きりで過ごす人、一人で過ごす人、自分の誕生日なん
て興味が無い人、それぞれだと思います。

水戸黄門として有名な徳川光圀は、自身の誕生日には最
も粗末な食事を取っていたそうです。

「誕生日は、自分が亡き母上を最も苦しめた日である。
陣痛に耐えた母上のご苦労を思えば、豪華な食事でお祝
いなどする気にはなれない。自分はせめて一年中でこの
日だけでも、粗末な食事で母上のご恩を感謝したい」と
家臣に伝えていたそうです。

誕生日は自分が生まれた日だと思いがちですが、母親が
自分を生んでくれた日である、ということに気付かされ
る言葉です。

「自分の意思で生まれてきたわけじゃない」とか「子は
親を選べない」と言う人がいますが、自分が生まれる前
の記憶を持つ子供が稀にいて「自分は親を選んで生まれ
てきた」と語る子供も多いそうです。

それならば、みんなお金持ちや優しい親だけを選びそう
なものですが逆に、虐待を受ける子も自分でそれを知り
ながらあえて、「そんなことをしてはいけない」と教え
るために、そういう親の元に生まれていたのだと証言す
る子もいるそうです。

ということは、生まれながらに病気を患っている子や、
死産や流産で亡くなる子も、それぞれに何らかのメッセ
ージを伝えようとして、親を選んだということなのでし
ょうか?

人がこの世に生まれてくるということには、それぞれに
大切な意味があるということなのかもしれませんね。
道元禅師様は「人は自ら願ってこの世界に生まれてきた
のだ」と『修証議』で説かれています。なぜ、悩み苦し
みの多いこの世界に生まれてきたのかと言えば、お釈迦
さまの教えに出会うために、あえて願って生まれてきた
のだと説かれたのです。

人生の辛い局面に出くわした時には、生まれてきたこと
を恨めしく思うことすらあります。しかし、お釈迦さま
の教えに出会うことができるこの世界は、より良く生き
るための道標がたくさん用意されている世界です。そう
いう、ありがたく幸せなこの世界に生まれることを自ら
願い、その願いを両親が叶えてくれて、今ここに生きて
いるのだと思えば、両親に感謝せずにはいられないはず
です。

次の誕生日は誰かに祝ってもらうことよりも、ご両親に
「ありがとう」と感謝の気持ちを表す記念日にしません
か。

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2017/05/11〜20   陰徳(いんとく)

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師 

私が会社勤めをしていた頃の話です。
上司の課長と私の二人で、取引先の別の会社を訪問して
いた途中、視覚障がいの方が使う白い杖を持った中年の
男性が横断歩道で信号待ちをいました。

その男性は、横断歩道の信号が青になっても渡ろうとし
ません。その男性一人だけが横断歩道を渡らずに立ちつ
くしていたのです。信号が変わったことに気付いていな
いのか、周りの人たちはその男性を避けるように歩き、
まるで川の水が岩を避けて流れるかのようでした。

それを見た課長はその男性に「どちらへ行かれるのです
か?」と、声をかけました。歩いて十五分ほどの場所に
向かっているとのことですが、行く先は交差点が多い道
のりでした。

荷物も持っておられたので、課長はその男性に付き添う
ことにしました。取引先との約束の時間が迫っているの
で、私は課長とその男性と別れ、一人で訪問先の会社へ
向かいました。

先に到着した私は、課長が遅れて到着することを先方に
伝えました。案の定、気に入らないという思いが表情に
出ています。しばらくして、無事に男性を送り届けた課
長も到着し、遅れたことを詫びました。しかし、先方の
不満は明らかに態度に表れています。一時間ほどの商談
は終始重い雰囲気でしたが、課長は、遅れた理由を先方
に説明することをしませんでした。

商談に遅刻したことは私たちの会社の耳にも入り、その
ことで課長と私は部長からきつく叱られました。しかし
その時も、課長は遅れた理由を話しませんでした。
「人助けをしていたから遅れた」と説明すれば、商談も
良い流れになっただろうし、部長にも言い訳がたつのに、
なぜ課長は言わないのか、と思いました。

私は課長に「遅れた理由を私から説明させてください」
と何度かお願いしたのですが、その度に課長から「困っ
ている人の役に立てたから、それでいいんだ」と止めら
ました。あえて話さない課長の態度を、とても潔いと感
じました。

何か良いことをした時に、それを誰かに知らせいたいと
思うことがあります。しかしそれは、「自分は良いこと
をしたのだ」という満足感が執着になっています。

仏教では、人に知られないところで行われる善行を「陰
徳」と言います。課長があえて言い訳をしなかったこと
が、まさに陰徳だったのだと、僧侶になった今、思い出
します。

見られる、見られない、知られる、知られないに関わら
ず、人知れず行われるところに大きな功徳があるのです。
言うは易く行うは難しではありますが、しかし、課長の
ような人は案外、数多くいるに違いありません。

なぜなら「陰徳」であるが故に、人に知られていないだ
けですから。

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2017/04/21~30   要求吠え

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師 

私は十年ほど前から犬を飼っています。中型で柴犬に近
い雌の雑種です。

毎日の朝と夕方の散歩が日課になっていますが、散歩の
時間が近づいてくると、いつも「ワンワンワン」と大き
な声で吠えます。「早く散歩に行きたい」と訴えてくる
のです。エサの時間が近づいた時にも、「早くご飯ちょ
うだい」と言わんばかりに「ワンワンワン」と、エサを
出すまで吠え続けます。

犬が吠えるのは当たり前と思って気にしていなかったの
ですが、犬の飼い方に詳しい方から、「散歩やエサの時
間を毎日同じ時間にしていませんか?」と言われました。

犬は習慣性の強い動物なので、散歩やご飯の時間をしっ
かり覚えていて、その時間を飼い主が几帳面に決めてい
ると、犬は「そろそろ時間だ」と要求するようになるそ
うです。

「ワンワンワン」と訴えてくるのは「要求吠え」と呼ば
れる犬の行動なのだそうです。

そして、吠えるということは犬の欲求不満でありストレ
スであるから、犬の精神的に悪いことだとも言われまし
た。習慣になっていることが当たり前となり、それが果
たされないことで不満やストレスを与えてしまっていた
ようです。

その助言を聞いて、私達人間にも似たようなことがある
と思いました。挨拶をしたけれど返してくれなかったと
不満を感じたり、何かをしてあげたけれどお礼の言葉が
なかったと気分を害したり、自分の中に「当然だ」とい
う思い込みがあるために、その思い込みが自分を苦しめ
ていることはないでしょうか。何かを求めることで苦し
みを生み出しているということはないでしょうか。

煩悩や執着が、喉が渇いて水を求めるような貪りの心と
なって苦しみの原因をつくる、とお釈迦さまは説かれま
した。

日本人は戴き物をした時など、直ぐにお返しをしたり、
お礼の電話やお礼状を出すなど、礼儀を尽くすことに神
経質な国民性なのだそうです。それ自体は素晴らしい国
民性だと思いますが、それが昂じて贈り物の見返りを求
めることにまで神経質になると、そこに執着が生まれ、
不平不満がストレスとなり、苦しみとなってしまいます。
不満や怒りやストレスを感じた時には、まず自分自身を
見つめてみましょう。

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2017/04/11~20   蝉は春秋を知らない

講師 愛媛県 法蓮寺 川本哲志師 

夏に鳴く蝉は、成虫として生きられる時間が数週間しか
ないことから、はかない命の代名詞のように言われます。

「蝉は春や秋を知らない」という言葉があります。道教
の始祖の一人とされる荘子の言葉です。夏の盛りに地上
に出てきて、秋が訪れる前にその生涯を終える蝉は、他
の季節があることを知ることがないという意味です。

夏以外の世界を知らないということは、そもそも自分が
過ごしたのが夏という季節だと知らないことでもありま
す。ただ、蝉が鳴くのは夏だということを、人間が知っ
ているだけのことです。過ごしやすい春や秋を知らず、
この世界は一年中暑いものだと思っている蝉を人間から
見れば、不憫にさえ感じます。

しかし実際は、蝉は地上に出るまでに何年も地中で過ご
しますので、土の中とはいえ春夏秋冬を何度も体験して
います。

「蝉が春や秋を知らない」という言葉を、仏教では人間
に向けられた言葉として受け止めます。あっという間に
死んでいくように見える蝉と自分を、重ねて考えるよう
に解釈します。

この世界で生まれて、この世界で生きて、この世界で死
んでいく人間にとっては、この世界が全てです。私たち
が「全て」だと思っている「この世界」も、蝉の生きて
いる「夏」と変わらないのです。それ以外の世界を知ら
ない私たちは、自分が過ごしている世界が何であるかを
知らないのです。

お釈迦さまはこの世の真理に目覚め、お悟りを開かれま
した。お釈迦さまが悟りの境地から見た私たちは、私た
ちが見る蝉と同じだったのでしょう。私たちが蝉を不憫
に思うように、お釈迦さまは私たちに慈悲の眼を向けて
くださったのです。それゆえ、私たちが人生をいかに生
きていくべきかを仏法としてお示しくださったのです。

私たちが蝉に「短い一生、精一杯生きてね」と思うこと
と同じように、お釈迦さまは「限られた命、幸せに生き
てください」と私たちを励ましてくださっているのです。

この世界が何であるか、自分が何者であるか、分かって
いるつもりで生きてきたけれど、実は何も分かっていな
い私たちです。そんな私たちにとって、この世の真理に
目覚めたお釈迦さまの教えを聞くことができることは、
この上なく有り難いことです。私たちはお釈迦さまの教
えに、もっともっと耳を傾けなければならないのです。

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2017/03/21~31   つながる思い  

講師 香川県 祥福寺 本山良宗師

昨年暮れのことです。東京での会議の合間に世界遺産ラ
スコー展を見学してきました。

今からおよそ二万年前に、クロマニヨン人がフランス南
西部のラスコー洞窟に描いた壁画や、見事な彫刻を施し
た様々な狩猟道具、裁縫に使った針や多彩な装飾具など
が展示されていて、芸術の爆発とも言われる二万年前の
クロモニヨン人たちの豊かな表現力に驚かされました。

そんな展示物の中で最も心をゆさぶられたのは、頭部に
貝殻のビーズの飾りを施して埋葬されていた一人の女性
の化石でした。

マンモスやホラアナライオンなどの大型動物が闊歩して
いた時代に生きたクロマニヨン人です。獰猛な動物に襲
われて、命を落とすこともあったことでしょう。病に倒
れれば、なすすべもなく見守るしかなかったことでしょ
う。

そんな彼らが、大切な家族や仲間を亡くした時には、現
代人同様に悲しい別れに涙しながら、亡き人を懇ろに弔
っていたのだと思うと同時に、先立つ人は残る人たちの
無事を願いながら逝ったに違いなかったろうと思ったの
です。もしかすると、そういう願いは現代に生きる私た
ちより深かったかもしれません。

クロモニヨン人などというと、遠い昔に絶滅した人種と
思われがちですが、最新の研究では、そのDNAが現代
ヨーロッパ人につながっているとされています。

それはつまり、残る者の無事を祈りながら逝った人たち
の思いが、命のつながりとして現代まで確かに繋がって
きたということですね。

人の幸せを祈ること、人を思う心を大切に一日一日をす
ごしてまいりましょう。

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2017/03/11~21   微かな光

講師 香川県 祥福寺 本山良宗師

三月を迎え、黄砂で夜空もかすみ始める日本列島の裏
側、南米チリ標高5000mのアタカマ高地では66
台もの巨大な電波望遠鏡を運用して銀河の誕生を探る
という、世界的な研究が行われています。

この研究に参加するために現地へ行った方によれば、
「夜、外に出ると金星の光で自分の影ができる」のだ
そうです。

金星といえば、太陽、月に次いで明るく見えることか
ら明けの明星とか宵の明星といわれていますが、電気
の灯り溢れる日本では、月の明りで影ができることは
あっても、金星からの光で影ができるなどとは想像す
ら出来ません。

思うに、人の心や、人の思い、人の命の繋がりという
のも、星の光と同じなのではないでしょうか?

喜んだり悲しんだり時には怒ったり…。人間らしいと
いえば人間らしい日送りですが、それが本当に人間ら
しい生活とは限りません。電気の光に囲まれて見る、
星の光と同じように、時間に追われ感情に振り回され
て、大切なものを見失ってはいないでしょうか?

春のお彼岸がまいります。お仏壇の前で、お墓の前で、
静かに手を合わせてみましょう。きっと、あなたを見
守っている微かな光に気がつくはずです。

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2017/02/21~28   布施

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

昨年の十一月、三重県の大紀町という町にお説法でお邪
魔したときのことです。とても心あたたまる出会いがあ
りました。

お寺でのお説法が終わって、車で30分程離れた特急列
車の止まる無人駅まで送って貰った時のことでした。少
し、時間があったので駅の周辺を散策していると、ふと、
デイルームと書いた看板が目に留まったのです。

ああ、ここにもデイルームがあるんだなと目を凝らして
みると、その上に「放課後」と書いてあります。

急速に過疎化が進んでいると聞いた町ですので、今問題
の待機児童の子供さんたちではないであろうと思いなが
ら、立ち寄って見学させて頂きました。

そこには、年齢もまちまちの子供たちが、ゲームをしな
がら楽しみ、笑っていたのです。近くを歩いていた方に
聞くと、『要支援』。支援が必要な子供たちだと言うの
です。

「直ぐそこに小学校があって、全校生徒200名を切っ
ているんですが、この学校には要支援の子供等が1割程
度いるんです」と悲痛にも見える表情で話してくださっ
たのです。

そんな話を伺っている時、多分一・二年生だと思います。
一人の少女が、私に近づいてきて笑顔でこう言うのです。
「和尚さん、美味しいから、これあげる」と、手にして
いたビニールの袋からお菓子を取り出して私に勧めてく
れたのです。

「お嬢ちゃん、どうもありがとう。和尚さんは、さっき
ご飯を食べてきましたから、お腹いっぱいなんです。だ
から気にしないであなたが食べてください。本当にあり
がとうね」と言いますと、また笑顔で「はーい!」と元
気な声が返ってきました。

その少女は見知らぬ訪問者であった私に、「優しい心」
と「笑顔」という布施をくださったのです。

宗祖道元様は「布施とは貪ることなく、へつらうことな
く、見返りを持たない生き方である」と示しています。

思うに、その少女の行いは相手を思う優しさだけであり、
まさに「布施」そのものであったと思うのです。

布施とは見返りを求めないこと。何人も置き去りにしな
いこと、させないこと。願わくは、諸人がそういう生き
方であれと祈るのです。

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2017/02/11~20   同事

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

三月には東北大震災から七年目、四月には熊本地震から
丸一年を迎えるわけですが、熊本地震が起きてから三カ
月しか経っていない昨年七月、市内のお寺さま方のお招
きでお説法に伺いました。

あのような大災害が起こるとは思っても居なかった時か
らのお約束で、復旧とは程遠い状況にある時期でしたの
で、伺うことにとても躊躇いたしました。

しかしながら、「こんなときだからこそ、お説法が必要
なんです」という、地元のお寺さまからのお声を聞いて
伺うことにしたのです。

熊本巡回での最後のお寺さまで、お檀家の方とお話する
機会がありました。そのとき、強く感じたことがあった
のです「人間て良いもんだなぁ、人間て強いんだなぁ!」
と。

お檀家の方のお話では、そのお寺さまは大きな駐車場を
抱えていて、あの大地震が起きた日には駐車場に車で避
難してくる人、テント持参でやってくる人、着の身着の
ままの人、檀家さんだけでなく大勢の人が押し寄せたそ
うです。

その日からすぐに、救援物資の配布も始まったのだが、
誰が指示するでもなく整然とした列が出来たと・・・譲
り合いですね。

車中泊を続けていると、足を延ばして寝たくなってくる。
すると、テント暮らしの人が「昼間で良かったら、テン
トで横になりませんか?」と声をかけてあげていたそう
です。

あるいはまた、簡易ガスコンロで食事を作っている人が、
隣にいる人たちに声を掛けていたそうです「食事してな
いようでしたら、良かったらこれ食べませんか?」と。

誰にも指図されたわけでなく、お互いがお互いを思いや
りながら助け合って過ごしていたというのです。人はけ
して一人じゃないんですね。

宗祖道元様は、「同事と言うは不偉なり、自にも不偉な
り他にも不偉なり、他をして自に同ぜしめて後に自をし
て他に同ぜしむる道理あるべし」と、示されました。

「同事とは、他の人と心通わして同じ気持ちになること
である。それは自分であっても他の人であっても変わり
はないのだ。我々には大きな経験と言うものが存在する、
その経験と人を思いやる心を同化させたならば、心が通
い合うのだ」と説かれました。

困っている時は、「お互い様」を忘れたくないものです
ね。お互い様の心が、正に世界を救うものなのです。

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2017/01/21〜31   愛語

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

昨年、北海道の帯広一帯を お説法で廻ったときのこと
です。

帯広に入って三日目となり、そろそろ洗濯をしないと着
替えがなくなってきましたので、ホテルから歩いて10
分ほどという、最寄りのコインランドリーを紹介して貰
いました。

フロントで渡された小さな地図をたよりに10分ほど歩
いたのですが、一向にコインランドリーが見えてきませ
ん。歩くのが遅いのかと、さらに10分歩いてみても見
つからず、人に尋ねようにも、あいにくの雨降りで誰も
歩いていません。

困ったなあと思っておりましら、たまたま、登校途中で
信号待ちをしている小学五・六年生くらいの子どもたち
を見かけました。

これ幸いと、その子どもたちに「すみません、あなたた
ちに少し尋ねたいことがあるんですけど、宜しいでしょ
うか?」と尋ねると、その中の一人が「はい、いいです
よ」と、返してくれました。

そこで、地図を見せながら「実は、このランドリーに行
きたいんですけど、この近くじゃないでしょうか?教え
て頂けますか?」。

そうすると怪訝な顔で私と地図を見比べるようにしなが
ら、「あのぉ、このランドリーは、イトーヨーカドーの
近くです。」と教えてくれたのです。

しかし、悲しいかな旅人の私には、それが何処にあるか
分かりません。さらに、二言三言話をしたのですが、な
かなか要を得ず、これ以上は無理だと思った私は「諦め
てホテルに戻ります、ありがとうございました。」とお
礼を述べて頭を下げました。

子どもたちは「すみません、ごめんなさい」と、頭を下
げながら学校の方へと歩きだしたのですが、四歩か五歩
のところで急に私の方に振り返り、大きな声で、こう言
ったのです。

「すみません!お力に成れずに申し訳ございません!」
そう言いながら、ランドセルの背が見えるほど深々とお
辞儀をして下さったのです。

もう私は、感激して何も言えませんでした。その感激を
私は一生忘れることは無いでありましょう。

もし私が、年上だからと偉そうに「ここへ行きたいんだ
が教えてくれんか?」と言ったとしたなら、果たして、
その子どもたちは「すみません、お力に成れずに申し訳
ございません」と、返してくれたでしょうか?私は、感
動的な子どもたちの言葉と行いに、出会うことが出来た
でしょうか?

宗祖道元様の「愛語よく廻転の力あること学すべき也」
すなわち、「相手のことを敬い思いやりながら発する言
葉には、人を動かす力がある」とのお示しは、まさにこ
のようなことなのでありましょう。

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2017/01/11~20   少欲知足

講師 高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

「世の中が、我侭気ままになるならば、年中三月常月夜、
お前十八わしゃ二十歳、死なぬ子三人みな孝行、後先息
子で中娘、使ぉて減らぬ金十両、死んでも命があるよう
に、寝ていてしょんべんしてみたい」

この和歌は、東京が江戸と言われていた時代に流行った
戯れ歌だそうです。当時の江戸っ子はこの和歌にメロデ
ィーをつけて手拍子でも打ちながら歌ったのでしょうね。

たしかに、その当時を想像しながら自分で勝手に抑揚を
つけて口ずさんでみると、何ともお気楽で滑稽さを感じ
る戯れ歌ですが、きょうは、その滑稽さを話題にしたい
わけではなくて、この歌の中身についてお話ししたいの
です。

この戯れ歌の「俺がとか、私さえ、楽しければそれで良
いんだ!」という心。「自分さえ」「俺が私が」の心、
果たして江戸時代の人だけだと言えるでしょうか?その
心、今を生きる私、そしてあなたの心の中にもないでし
ょうか? きっと、ありますよね?
 
でも、普段はその心を微塵も感じさせないのです、我々
は。なぜかと言えば、理性も知性もあるからです。「自
分さえ良ければ」という心を私たちは気付かない内に覆
い隠してるのです。

ところが、ある時、その心が、ふと芽生えることがあり
ます。そんな時、その心が芽生えていない私たちが「自
分さえ」という光景や言葉を目にすると、どう思うでし
ょうか?「やだなぁ!」と感じますよね?
 
お釈迦様は、私たちに「少欲知足」。すなわち「少ない
欲で足りることを知りなさい」ということを説いてくだ
さっています。

私たち人間は、欲が無いと生きていけない状態になるそ
うですから、欲には必要な部分もあります。でも、「自
分さえ、俺さえ良かったら良いんだといった心は、つま
らん欲だから捨ててしまえ」と、お釈迦様は極めて強く
説いておられるのです。

人様のことをこれっぽっちも考えない私たちではつまら
ないですよね?人様を思うことを忘れると、人間は今を
生きているんだという感覚が薄れて来てしまうのだそう
です。

人を思う心が、我が心をより豊かにするのです。

新しい年が始まりました。他を思う心を大切に過ごして
まいりましょう。

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