坐禅...自らに向き合えば、新しい自分にきっと出会える!

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新着の法話

2025/06/11~20   三人寄れば文殊の知恵

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

「三人寄れば文殊の知恵」という、よく知られたことわ
ざがあります。何か困ったことがあっても、一人で悩ま
ず、三人で話し合えば、文殊菩薩のような智慧が自然と
湧いてくる…そんな意味の言葉です。

文殊菩薩は「智慧の文殊」と称され、仏教において深く
敬われてきました。手に智慧の剣をとり、獅子の背に坐
して、私たちの迷いや苦しみを断ち切ろうとされる。そ
のお姿は凛々しく、また慈しみに満ちております。禅宗
においては、坐禅を行うお堂に、剣を持たず、ただ静か
に獅子の上に坐する文殊菩薩をお祀りしています。それ
は、飾り立てられた知識ではなく、本来の智慧を象徴す
るお姿です。

そのような文殊さまの大いなる智慧も、けっして遠く高
いところにあるものではなく、三人が心を寄せ合えば自
ずと現れる。このことわざは、そんな仏の智慧のあり方
を、私たちにやさしく教えてくれているように思います。

けれども現代は、三人寄って相談するということが、か
えって難しくなっているのかもしれません。世の中には
「一人で悩まないで」というスローガンが掲げられるほ
ど、孤立が深刻な問題となっています。

かつて職場では、「ホウレンソウ」が大切だと教えられ
ました。報告・連絡・相談の三つを意味するこの言葉は、
今でも耳にすることがあります。ところが近頃では、逆
に「チンゲンサイ」が蔓延しているとも言われます。沈
黙(チン)、言わない(ゲン)、済ませる(サイ)。誰
にも相談せず、黙って一人で問題を抱えてしまう、とい
う意味です。

ある年配の会社員の方から、こんなお話を伺いました。
「私たちが若いころは、ホウレンソウを徹底して教えら
れました。でも今の若い世代では、チンゲンサイが増え
ている気がします。だからこそ今、私たちは『ザッソウ』
ー雑談と相談ーを大事にしようとしています。雑談を通
してこそ、相談につながるのです」と。

昔は「仕事中に雑談するな」と叱られたものですが、今
はむしろ雑談を通して、人と人がつながることが奨励さ
れている。時代の変化を感じさせられる話でした。

仏教には、「和合(わごう)」という大切な教えがあり
ます。「帰依僧和合尊(きえそうわごうそん)」とお唱
えするように、僧侶の集まりである僧伽(さんが)のみ
ならず、人と人とが心を一つにすることが尊いと説かれ
ております。

三人、五人と語らいながら、他愛もない話に花を咲かせ
る。そんなささやかなひとときにこそ、文殊の智慧がそ
っと顔を出してくださるのかもしれません。悩みは一人
で抱えこまず、語り合い、分かち合いましょう。文殊菩
薩の智慧は、私たちの交わりのなかに生きているのです。
そんな和やかな輪を広げながら、今日もまた、笑顔で一
日を重ねてまいりたいものです。

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2025/05/21~30   清坐 一味の友

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

私の暮らす地域は、山深いところにございます。道も細
く、冬には雪もよく降るため、街へ出るのも一苦労です。
しかしながら、そうした不便さのなかに、見たいものし
か見ない、聞きたいことしか聞かないといった風潮の現
代社会ではおよそ味わうことのできない、なんとも言え
ぬ温もりがございます。

たとえば、ただ近所の方が通りかかるだけでも「ちょっ
と寄っておいきや」と声をかけ、お茶や漬物を囲む席が
自然とできあがります。祝い事などがあると、その準備
にかこつけて人がぽつぽつと集まり始め、誰かがお酒を
持ってきて、誰かが笑い話を始めて、気づけばみんなで
ワイワイ。いつの間にか肩を寄せ合って語り合う、そん
なひとときが、なんとも言えず心に沁みます。

あるご年配の方が、こう仰いました。「こんな山奥やと、
買い物も外食もなかなかできん。でもな、みんなで円う
なって話すのが、一番の楽しみなんよ」と。
何げない言葉でしたが、私には深い教えに聞こえました。

『清坐一味友(せいざ いちみの とも)』という禅語が
あります。「清らかな場所に集い、ひとつの釜の湯で点
てたお茶を味わうように、心をひとつにする友」という
意味です。

何かを語り合うよりも前に、ただ静かに座り、同じ空気
を吸い、湯気の立つ一杯を手に、時をともにする。そこ
に、言葉を超えた温かいつながりが生まれます。豪華な
食事も、にぎやかな催しも要りません。ただ、お茶一杯
を真心で分かち合う。そうした時間こそが、私たちの心
を柔らかくし、誰かと共にあることのありがたさを、静
かに教えてくれるのだと思います。

今の世の中は、さまざまな出来事に心を揺らされ、気持
ちがギスギスしがちです。だからこそ、ひとたび歩みを
とどめ、誰かと並んで腰を下ろし、湯気の立つ茶碗やカ
ップを手に、静かな時間をすごしてみる。そんな「清坐
一味友」のひとときを、大切にしてまいりたいものです。

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2025/05/11~20   無事是貴人

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

令和七年も、気がつけば三分の一が過ぎました。日中は
少し動けば額に汗をにじませるような陽気となり、庭掃
除をしていると、夏を思わせる日差しが、先代住職であ
った父の命日が近づいていることを教えてくれているよ
うな気がいたします。

父が亡くなってから、まもなく三年が経ちます。庫裡の
そこここには、父の使っていた道具や書きものが、今も
そのまま残っております。ある日、カレンダーの脇の壁
に、小さな紙片がテープで貼られているのを見つけまし
た。そこには、こう記されていました。

「こころよく 我にはたらく仕事あれ
    それを仕遂げて 死なむと思ふ」

これは明治の歌人・石川啄木の短歌で「心からやりがい
を感じられる仕事に出会い、それをやり遂げて人生を終
えたい」という願いが詠まれているといいます。

父は住職としての務めを果たしながら農協に勤め、退職
後はシルバー人材センターで剪定の仕事にも励んでおり
ました。人付き合いが好きな、陽気な父でしたが、庭木
に向き合うときは真剣そのものでした。住職を私に譲っ
てからは、特に松の剪定に力を注ぎ、時には黙々と、何
時間も枝と向き合っていた姿が目に浮かびます。今にし
て思えば、父は晩年になって、自らの意志で打ち込める
ものを見出し、そこに深い満足と静かな喜びを得ていた
のかもしれません。

禅の言葉に『無事是貴人(ぶじこれきにん)』という句
があります。これは臨済宗の祖・臨済義玄禅師の語録に
あるもので、「無事」とは、求める心が止み、落ち着い
た境地に至ったあり方をいいます。「貴人」とは、仏の
ように尊く、目覚めた人のこと。つまり「外に何かを求
めるのではなく、何も求めない心の中にこそ、本来の尊
さがある」と説かれているのです。

松の木を前に、ただ黙々と剪定ばさみを動かす父の姿に
は、満ち足りた静けさが宿っていたように思われます。
収入を得るためでも、人に褒めてもらうためでもなく、
ただ目の前の枝に集中する。そうした姿に私はこの「無
事是貴人」の教えを重ねずにはいられません。

私たちの日々の暮らしは「もっと速く」「もっと多く」
と、いつも誰かから急き立てられているような空気に包
まれています。けれども、少し立ち止まり、自分にとっ
て本当に大切なことは何だろうか。心から打ち込めるこ
と、楽しめること、安らげることとは何か。そんな問い
を、静かに自分に投げかけてみたいものです。

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2025/04/11~20   虎視牛歩のこころ 

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

私が北海道のお寺でお手伝いをしていた頃、朝の勤行で
導師を務めていると、住職からこう言われました。「隆
弘さん、僧侶の動きは虎視牛歩じゃないと駄目だ。足先
まで神経を張り巡らせなさい」と。「虎視牛歩」とは、
虎のように鋭く目標を見据え、牛のように一歩ずつ着実
に進むということ。つまり、日常の一つひとつの行いを、
心を込めて丁寧にせよという教えでした。

以来、私なりにその教えを守ってきたつもりでしたが、
慣れというのは怖いものです。先日、ご法事に参列され
た年配の方から「失礼ながら、住職の動きが若干、ルー
チンワークのように見えたのが気になって」との言葉を
いただきました。ルーチンワークといえば日常業務とか
定型作業という意味に使われる言葉です。ルーチンワー
ク……そんなつもりはありませんでしたが、言われたこ
とのない言葉に私はドキッとしました。所作進退は行法
通りにお勤めしたつもりでしたが、その方にはそう見え
たのでしょう。「ご助言、ありがとうございます」と申
し上げ、お寺に戻ったことでした。

お寺に戻ってその話を家族にすると、思いのほか手厳し
く、「あなたの動きは軽やかすぎて、丁寧さが伝わりに
くいことがあるから…。法要を丁寧にするだけではなく
て、その前のちょっとした会話や立ち振る舞いにも、そ
の人の僧侶としての風格や威厳にじみ出るものよ。もし
かしたら、そういう理想像を求めておられたのかもしれ
ないわね」と言われました。そして続けて「忙しさに追
われて、気づかないうちに“型どおりのこと”になって
いたんじゃない? あなたが本来大事にしてきたものが、
少し置き去りになっていたのかもね」と指摘され、自分
でも気づかぬうちに慢心が芽生えていたのかもしれない
と、はっとさせられました。

禅の言葉に「潜行密用、如愚如魯(せんこうみつよう、
ぐのごとく ろのごとし)」という一節があります。誰
にも見られていなくても、ただ誠実に務めを尽くす。た
とえ愚かに見えても、その姿勢こそが自らを形づくるの
だと教えています。

慣れは大切ですが、気づかぬうちに慢心を生むこともあ
ります。初心に立ち返り、自分の所作や態度を見直すこ
との大切さを、改めて思い知らされた出来事でした。

4月は新しい環境で一歩を踏み出す人も多いと思います。
自分は大丈夫、人前では正しくできる。ではなく、ぜひ
この機会に、ご自身の普段の姿勢を見つめ直し、何気な
い所作や態度に、あらためて心を込めてみてはいかがで
しょうか。

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2025/04/11~20   善き友と共に歩む

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

道元禅師は、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。よ
き人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と示さ
れました。

これは、環境や人との関わりが、知らず知らずのうちに
私たちの在り方を形作るという教えです。朝霧の中を歩
くと、意識せずとも衣がしっとりと湿るように、日々接
する人や環境が、私たちの心に影響を及ぼしているので
す。

先日、6年ぶりに愛媛県松山市で安居会がありました。
安居会とは、簡単に言えば同窓会です。私が修行してい
たのは平成十年。その年、およそ100人の修行僧が道
場の門を叩きました。年齢も立場も異なる者が一堂に集
い、共に坐禅し、経を誦し、時には厳しい指導を受けな
がら修行を重ねた日々でした。その安居会で久方ぶりに
会った北海道の友人が声をかけてくれました。

「四国管区の法話は、まだ続けているか?」と尋ねる彼
に、私は担当していた曹洞宗四国管区の役職を退いたこ
とを伝えました。すると、「結構長く続けていたのに残
念だ。お前の法話を目にするたびに、ああ、頑張ってい
るのだなと思っていたのに」と、寂しそうな表情を見せ
ました。「いや、そのかわり今は、愛媛県宗務所で教化
主事を務めているんだよ」と話すと「お前が?そうか!
それは良かった!」と、まるで自分のことのように喜ん
でくれたのです。

私はその姿に心を打たれました。他人の歩みを心から喜
び、励ますことができる。このような関わりこそが「善
き友」の在り方ではないでしょうか。お釈迦様は、「善
き友は修行のすべてである」と説かれました。善き友と
共にあることで、私たちはより良い方向へと導かれます。

しかし、私たちは日常の中で、つい損得勘定で人を見て
しまうことがあります。この人と付き合うことで得にな
るだろうか、それとも損だろうか。そのような心で接す
る限り、真の善き友にはなれません。では、どうすれば
善き友と巡り合えるのでしょうか。それは、まず自らが
善き友となることです。他者の成功を素直に喜び、共に
歩み、時には厳しくも温かい言葉をかける。そうした姿
勢が、善き縁を生み、善き友を育んでいくのです。

皆さんの周りには、善き友がいますか?そして、皆さん
自身は誰かの善き友となっていますか?霧が衣を湿らせ
るように、日々の関わりが自分自身を形作ります。日々
の行いを見つめ直し、共に成長できる関係を築いてまい
りましょう。

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2025/03/21~31   供養が結ぶ家族の絆

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

今から四十年ほど前のことです。大阪からご主人の故郷
であるこの町へ戻ってこられたご家族がありました。と
ころが、わずか数年のうちにご主人が亡くなられ、縁あ
って私がお葬儀をお勤めさせていただいたのですが、三
回忌を過ぎたころご家族は引っ越され、お寺とのご縁も
遠のいてしまいました。

それから十年ほどたったある日、一通の現金封筒が届き
ました。「主人の十三回忌をお願いします。私は大病を
して……」と書かれ、お布施が添えられていました。差
出人はご主人の奥さま、九州のご住所でした。

その後も奥さまは、体調を見ながら足を運び、ご法事を
続けてこられました。数年前、ご主人の三十三回忌を迎
えたときのことです。奥さまからお電話をいただきまし
た。「私なぁ、来年で九十歳になるうえに、この間、ま
た手術して退院したばっかりでよう帰らんから、和尚さ
ん、供養しといて。ごめんなぁ」と。そこで、私がひと
り本堂でお勤めしました。

すると、その数日後、今度は娘さんから「父の三十三回
忌をお願いします」と、お電話がありました。すでにお
母さまのご依頼で法要を済ませたことをお伝えすると、
「それでも」と、ご家族そろってお寺にお越しになりま
した。お茶を飲みながら、昔の思い出話や、大阪へ戻ら
れた経緯、ご自身が現在、重い病気と向き合っておられ
ることなど、さまざまなお話をされました。

お帰りの際、娘さんがふと「母は、父のことなんかとっ
くに忘れて、九州で好き勝手に暮らしてるかと思ってた
けど、忘れずにちゃんと供養してくれよったんやね」と、
目を潤ませながらおっしゃって「和尚さん、母の住所を
ご存じですか?ひ孫の顔を見せてあげようと思います。
三十年以上前に亡くなった父が、母と私をつないでくれ
たように思います」と、静かに頭を下げられました。

春のお彼岸の頃、少し肌寒い風が吹く境内を、ご家族が
並んで帰っていく姿は、母と娘の長年のわだかまりが解
けたようで、とても晴れやかに見えました。

「暑さ寒さも彼岸まで」と申します。お彼岸の頃になる
と、それまでの厳しい暑さや寒さも和らぎ、過ごしやす
くなります。実際に、冬の終わりには春の兆しが見え、
夏の終わりには秋の気配が感じられます。そう考えると、
どんなに厳しい季節も、やがて移り変わるのだと気づか
されます。人生もまた同じではないでしょうか。苦しみ
や悩みが続くように思えても、いつかは必ず変化のとき
が訪れます。仏さまの教えに照らし、心穏やかにその時
を待つことができれば、私たちの苦しみも、次第に光の
中に溶け込んでいくのです。

道元禅師は『過去の諸仏を供養したてまつり、出家し随
順したてまつるがごとき、かならず諸仏となるなり』と
説かれました。仏さまを供養するという行いは、単に亡
き人を偲ぶということではありません。私たち自身の心
を正し、仏さまの教えに近づく道を示しているのです。
形だけの供養ではなく、そこに込められた想いが大切で
す。お彼岸には、ご先祖を偲び、祈る心の中に、自分自
身の安らぎや導きを見つけていきたいものですね。

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2025/03/11~20   腸内細菌と無我の教え

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

数年前の秋も深まった朝早く、私が住職を務める寺の境
内に、一匹のイノシシが現れました。運悪く、私と妻が
襲われ、病院で手当を受けることとなりました。幸い怪
我は軽く、破傷風のワクチンと抗生剤を処方されました。
お医者さまからは、「この薬は、ばい菌を殺しますが、
腸内細菌も死んでしまうので、しばらくはお腹がゆるく
なりますよ」と告げられ、病院を後にしました。

結果はお医者さまの言葉どおりでしたが、大して気にす
ることもなく、しばらくすると回復するかに思えました。
ところが今度は、数日間もお通じがなくなってしまいま
した。こんな経験は長い人生で初めてのことでしたので
毎回トイレで「私の腸内細菌を返してくれぇ!」と嘆く
ばかりでした。

3ヶ月が過ぎたころ、NHKの「ヒューマニエンス」と
いう番組で、腸内細菌の話を耳にしました。赤ん坊が母
親の胎内から産道を通る際、母親の腸内細菌を受け継ぐ
のだそうです。そして、それを辿れば母から祖母、祖母
から曾祖母へと遡り、そして何と驚くことに、さらに遥
か遠く、太古の地球にまで至るということを知り、本当
に驚きました。

仏教には「無我」という教えがあります。「私」という
存在は、決して独立しているものではなく、無数の縁に
よってお互いに繋がりあい影響しあって存在しています。
腸内細菌一つとっても、それは私だけのものではなく、
遠い過去から受け継がれてきた生命の連なりの一部なの
です。

あの番組を見ながら「ああそうだ、自分の身体は自分だ
けのものと思い込んでしまっていたぞ」と気づかされた
ことでした。

私たちは、財産も身体も、命すらも「自分のもの」と思
いがちです。しかし、すべては縁によって成り立ち、大
自然から授かったものなのです。この気づきを得た頃か
ら、不思議と腸の調子も整い、心まで軽くなったように
感じました。

皆さんも、日々の生活の中で「自分のもの」と思い込ん
でいるものが、本当にそうなのか、一度立ち止まって考
えてみてはいかがでしょうか。人との関わりや自然との
つながりを見つめ直す良い機会となるかもしれません。

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2025/02/21~28   怒りに惑わされぬために

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

一昨年の5月から迷い犬を飼い始め、以来、朝夕の散歩
などの世話を家族全員でしております。ある時から、そ
の散歩の道すがらで、草むらや堤防の土手などにお弁当
の残りや、惣菜の食べ残しのようなものを見かけるよう
になりました。「もし毒が混ざっていたら」「イノシシ
が出没しているのに味を覚えたらどうする」家族でそん
な心配をしておりました。

ある日のこと、犬の散歩に出ていた妻が、何やら沈んだ
顔で帰ってきました。理由を尋ねたところ、年配の女性
の方が車を停めて、残飯を捨てている現場に出くわした
のだそうです。妻は思わず車の前に立ちはだかり、その
女性に注意をすると、女性は反省した様子でその場を離
れたということでした。

そして妻は「頭に血が昇ってカーッとしたまま、年配の
女性にきつく注意してしまったが、その後で自分の心に
残ったのは、怒りの興奮ではなく、困惑と後悔の思いだ
った」というのです。

仏教では、怒りの感情を根本的な煩悩である三毒の一つ
としています。怒りは、仏道修行の妨げになり、自らを
惑わせ周りも惑わせる害悪なものとしています。

もしあなたが、道端やお店などで怒りに任せ怒鳴ってい
る人を見かけるとどう感じるでしょう。怖くなったり、
不安な気持ちになったり、場合によってはこちらまで怒
りの感情を起こし、気持ちを乱されます。何も良いこと
はありません。むしろ悪影響しかないと言えます。

では、沸き起こった怒りを抑えるにはどうすれば良いで
しょうか。まずは、自らの怒りに気付くことです。「あ、
今、自分は怒っているな」と。そう気づいたら、ゆっく
りと3・4回深呼吸してみましょう。そして「なんで怒
ってるんだ?」と一旦、自分自身に問いかけてみて、怒
りの内容をよく観察してみるのです。

そうすることで怒りの勢いは少し和らぐはずです。次に、
今やるべきことを考えます。「こんな言い方は良くない
な」「相手の言い分も聞かなきゃな」と、冷静な心と態
度と口調が戻ってくるはずです。もしかすると「そもそ
も怒ってる場合じゃないぞ」と思うこともあるかもしれ
ません。

しかし、怒りを鎮めるだけでは十分ではありません。そ
れだけでは、また同じことが繰り返されてしまいます。
怒りを生じさせない心の在りようを知ることが大切なの
です。

私たちの心は、外からの刺激によってすぐに揺れ動きま
す。それは、まるで水面のようなものです。怒りという
風が吹けば波立ち、怒りという石を投げれば大きく乱れ
ます。しかし、水はそっとしておけば、やがて澄み、静
かに戻っていきます。私たちの心もまた、怒りや悲しみ
に流されるのではなく、本来の静けさを取り戻すことが
できるのです。その心のありようこそが、私たちの「帰
る場所」なのです。

曹洞宗のお坊さんが坐禅をする時は、姿勢を調え、呼吸
を調え、そして心を調えます。この順番はとても重要で、
正しい姿勢でないと、正しい呼吸は出来ませんし、正し
い呼吸が出来ていないと、心は調わないのです。怒って
いる状態を息を荒げると言いますが、呼吸の乱れは心の
乱れの現れと言えます。

現代の目まぐるしく情報が行き交う日常では、どうして
も様々に気持ちを乱されがちです。心が動き過ぎて、知
らず知らずのうちに疲れ果ててしまっていないでしょう
か?自らの心の帰る場所に、自らがおかえりと言える時
間を是非お持ちください。

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2025/02/11~20   有り難しを知る

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

新しい年を迎え、当山の住職は数えで99歳になりまし
た。介護生活も4年目になりますが、年が明けてすぐ、
急に手足が動かなくなり、それまで乗り回していた電動
車椅子も使えなくなってしまいました。箸を持つことも、
ベッドから起き上がることもできません。家族も介護を
してくださる方々も驚きましたが、住職本人は時に辛さ
を漏らしながらも、至って普通に過ごしております。

そんな折、あるお檀家さんとお話しする機会がありまし
た。ご主人が78歳で、最近、肺の難病と診断され、酸
素ボンベが手放せなくなったそうです。呼吸はもちろん、
お風呂や歩くこと、食事までつらくなり、心身ともに疲
れ果ててしまいました。そして、ついには「早く死にた
い」と口にするようになったそうです。

住職とご主人。同じように体が思うように動かなくなっ
た二人ですが、住職から「死にたい」という言葉を聞い
たことがありません。これはいったい、なぜなのでしょ
うか?

住職は、戦前・戦中・戦後の激動をくぐり抜けて、多く
の人の死を見てきました。世の中の移り変わりも、その
中で生きる人の苦しみも、誰よりも見つめてきました。
だからこそ、いま、生きていることの尊さを知っている
のでしょう。食事の前、介護の手を借りるとき、住職は
いつも『ありがとう』とつぶやきます。「生きているこ
とは決して当たり前ではない」と私たちに教えてくれて
いるのかもしれません。

仏教では「生・老・病・死」という四苦を説いています。
私たちは、生まれた瞬間から、老いること、病むこと、
そして死ぬことから逃れることはできません。若いころ
は当たり前にできたことも、ある日突然、できなくなる
ことがあります。耳は遠くなり、目はかすみ、体も心も
思うようにならない日がやがて訪れます。そして、いつ
かは死を迎える。このことを、私たちは忘れずにいなけ
ればなりません。

「当たり前」の反対の言葉は「有り難い」です。「あり
がとう」とは、「有ることが難しい」、つまり「めった
にない」という意味です。自分が今こうして生きている
こと、呼吸ができること、ご飯を食べられること、誰か
と一緒に過ごせること――どれも当たり前ではなく、本
当は「有り難い」ことなのです。

私たちは、普段の生活の中で、たくさんのものを受け取
っています。水や食べ物、電気やガス、大切な人の言葉
や笑顔。それが当たり前になってしまうと、「ありがと
う」という言葉は出てきません。でも、それらがすべて
「有り難い」ことなのだと気づくとき、自然と感謝の気
持ちが生まれてくるのではないでしょうか。

今日という日が『有り難い』ものであることを噛みしめ
ながら、一日一日を生きていきたいものです。

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2025/01/21~31   無事是吉祥

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

私が住職を務めるお寺の本堂には、歴代住職の晋山式や
地域行事の集合写真が飾られています。その中に、昭和
12年(1937年)2月に撮影され「晋山結制男女青
年団修業会記念」と記された一枚があります。昭和12
年といえば、写真が撮影されてわずか数か月後の7月、
日中戦争が始まった年です。この写真を見るたびに、私
は91歳で亡くなられたAさんのことを思い出します。

Aさんは、私が幼い頃からお寺に足繁く通われ、生前に
は戦時中の体験を幾度となく語ってくださいました。あ
る日、一緒にお茶を飲みながら「今の若い人たちは本当
に幸せやね」とぽつりと呟かれたことがあります。そし
て、こんな話を聞かせてくださいました。「私が若い頃
は戦時中で、勉強をしたくてもできんかった。家の庭に
出ると足にびっしりとダニがつくくらい不衛生な生活や
った。ある時、農作業中に飛行機が飛んでくるのが見え
て、誰かが『空襲じゃ!隠れろ!』と叫んで、みんな必
死で山の中に隠れたんよ。機銃の音がタタタン!と1回
聞こえただけで、そのまま飛んで行ったんよ。皆で『死
なずにすんだ!』って抱き合って喜んでね。ところが…
私たちは助かったものの、その飛行機は別の町に爆弾を
落として、大勢の人が亡くなったと聞いて、何とも言え
ん気持ちになったんよ」。そう語り終えて、Aさんは静
かに私を見つめていらっしゃいました。

その眼差しには、言葉にし尽くせない思いが込められて
いたように思います。あのとき、Aさんは私たちに何を
伝えたかったのでしょうか。それはきっと、「日常を当
たり前と思わないでほしい」ということではないでしょ
うか。

仏教には『無事是吉祥(ぶじこれきちじょう)』という
教えがあります。これは「何気ない日常を無事に過ごせ
ることこそが、最も尊いことであり、感謝すべきもので
ある」という意味です。しかし、今の私たちはどうでし
ょう。朝、目覚めること。温かいご飯を食べること。家
族や友人と笑顔で言葉を交わすこと。これらを「当たり
前のこと」として見過ごしてはいないでしょうか。

あの日、Aさんは「今ある日常を粗末にしたらダメだよ。
あなたたちが生きているその日常は、かけがえのない幸
せに包まれた大切なものなんだよ」と諫めてくださった
ように思います。

令和7年は、終戦から80年の節目にあたります。この
節目の年に、私たちは改めて「無事是吉祥」の教えに心
を向けたいと思います。戦争や災害で苦しむ人々にとっ
て、私たちの日常がどれほど夢のような平和な暮らしで
あるかを思い返してみましょう。Aさんの言われた「今
の若い人たちは本当に幸せやね」という言葉には、戦時
中を生きた方々の、平和への切なる願いが込められてい
ます。その願いを胸に、私たちも今、この瞬間の日常に
感謝し、平和な暮らしを守り続けていきたいものです。

世界は今、国同士が複雑に繋がっています。ひとたび大
きな紛争や災害が起きると、食料や資材、燃料の供給が
滞り、私たちの生活にも大きな影響を及ぼします。平和
はとても脆いものです。だからこそ、その尊さに気づき、
理解し合い、助け合う気持ちを大切にしましょう。願わ
くは、世界中の人々が「今日も何事もなかったね」と微
笑み合える日が訪れますように。そして私たち自身も、
「無事であること」に感謝しながら日々を大切に過ごし
ていきたいものです。

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2025/01/11~20   慈しみの心

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

数年前のことです。地元にある古いお堂を建て替えること
になり、お堂にお祀りされていた数体の仏像を一時的に移
動するための法要が行われました。地域の皆さんとともに
お経を唱え、仏像を運び出していたときのことです。お堂
の片隅に、ぼろぼろの布に包まれた物がひっそりと置かれ
ているのが見つかりました。

恐る恐る布を開けた方が「うわっ、なんだこれ?」と思わ
ず声を漏らすほど損傷が激しく、一見しただけではそれが
何であるか分からないような代物でした。しかし、包んで
あった布をもう一度丁寧に広げてみると、かろうじて「観
音菩薩像」という文字が読めました。どうやらそれは、木
彫の観世音菩薩像だったようですが、損傷具合がひどく、
朽ち果てる寸前のようなお姿でした。

そのお姿をみた方々は「昔、この像を彫った人はどんな思
いだったんじゃろうかね」「こんなにボロボロになられて、
何か大変なことがあったんじゃろうね」と、それぞれに思
いを巡らせておられました。私が「もしかすると、天保の
大飢饉や疫病が猛威を振るう中、人々の救いを願い、必死
の祈りを込めてこの観音様を彫り上げて、ここに祀られた
のかもしれませんね」と言うと、皆さんも「そうかもしれ
んね」と深く頷かれ、「どんなに古びていても、この観音
様を粗末にしたらいけんね」と改めて観音様に手を合わせ
たことでした。

法要からの帰り道、私は『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』、
いわゆる「観音経」の一節を思い出しました。「慈眼視衆
生(じげんじしゅじょう)福聚海無量(ふくじゅかいむり
ょう)」これは、「観音様は慈悲のまなざしで絶えず衆生
を見守り、その福徳は果てしない大海のように広大無辺で
ある」という意味です。

お堂の建て替えによって、お祀りしてあった観音様の存在
に気付くことができました。それは、私たちがその姿を知
らずとも、観音様が今日まで変わることなく慈しみの眼差
しを注ぎ続けてくださっていた証です。仏像が朽ち果てそ
うな姿であっても、その背後に込められた祈りと信仰の灯
火は決して消えることはありません。その祈りは時代や場
所を超えて受け継がれ、観音様の慈悲の心と一体となって、
今なお私たちに平和と安寧を願うメッセージを送り続けて
いるのです。この事実に気づくことができたのは、観音様
のお導き以外の何物でもありません。

観音様の慈しみのまなざしと、像を彫られた方の深い祈り
に思いを寄せるとき、私たちの心にも自然と慈しみの種が
蒔かれます。その慈悲の種を育むために、私たちはどのよ
うな日々を生きていけばよいのでしょうか。その第一歩は、
たとえば、困っている人に手を差し伸べる、誰かの話に耳
を傾ける、小さな親切を心がける。そうした行いの一つひ
とつが、慈悲の心を養うための大切な土壌となります。観
音様の教えを胸に、私たち一人ひとりがその心を実践して
まいりましょう。

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2024/12/21~31   和顔愛語

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹 師

秋が深まってきたある日、私は3歳の次男と公園に出か
けたときのことです。舞い落ちる紅葉を拾いながら歩い
ていると、前の方から杖をついたおじいさんがゆっくり
と歩いて来られました。私は、狭い公園なので何度もす
れ違うんだろうなと思い、「こんにちは」と声をかけた
のですが、おじいさんは少し控えめに返事をされただけ
でした。

案の定、またそのおじいさんとすれ違うことになったの
ですが、今度は次男が「こんにちはぁー!」と明るく挨
拶をしました。すると、おじいさんは驚いたように少し
笑顔を見せながら「こんにちは」と応じてくださいまし
た。

さらに次男は、手に持っていた綺麗な紅葉の葉をおじい
さんに見せて「きれい!」と満面の笑みで話しかけまし
た。その笑顔につられたのか、おじいさんの表情が柔ら
かく変わり、帰り際には「ありがとう」と言いながら子
供の両手いっぱいの飴玉を手渡してくださったのです。 

お釈迦さまはみ教えの中で「和顔愛語」の大切さをお説
きになっておられます。人に接する時には、優しい心を
持って思いやりの言葉を心掛けましょう。とお示しにな
られておられます。

お釈迦さまはみ教えの中で「和顔愛語」すなわち、「人
に接する時には穏やかな顔と優しい言葉を心掛けましょ
う」とお示しです。でもそれは、ただ単に笑顔を作るこ
とや優しい言葉をかけることに留まりません。大切なの
は、自分の心を穏やかに保ち、相手を思う心そのもので
す。そして、その心が言葉や表情に宿ることで、相手の
心にも温かな灯をともすのです。

あの日、公園で子供が見せた満面の笑みと純粋な行動が、
おじいさんの表情を変え、心の距離を縮めました。それ
はまさに「和顔愛語」がもたらす力そのものです。わた
しはあの日、あらためて「和顔愛語」に込める心の大切
さを子供に教えられたような気がします。いよいよ年の
瀬も押し詰まってまいりました。何かと気忙しい毎日で、
つい気持ちに余裕を失いがちです。こうした時こそ「和
顔愛語」。和やかな笑顔と優しい言葉を大切にして過ご
してまいりましょう。

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2024/12/11~20   言葉のちから

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹 師

私は都会を歩くのが苦手です。道が複雑で迷いやすいた
め、普段はあまり訪れることがありません。しかし、先
日十年ぶりに家族で東京を訪れる機会がありました。案
の定、歩き回るうちに道に迷い、家族全員、疲れ切って
しまいました。長男が「お父さん、少し休もうよ」と言
うので、ふと目に止まった小さな喫茶店に入ることにし
ました。

店内は賑わっていましたが、店員さんは私たちに「少し
お待ちくださいね」と声をかけ、広めのソファ席を用意
してくださいました。すっかり眠り込んでしまった次男
を抱いている私たちの様子を見て、家族が休みやすいよ
うに、次男を寝かせやすいようにと配慮してくださった
のだと思います。その心遣いに、疲れた体と心がほっと
和らぎました。

飲み物を頼み30分ほどゆっくりと過ごすと、家族の顔
もだいぶ明るくなり、「さあ、そろそろ出かけようか」
と話しあって、席を立つことにしました。会計の際、店
員さんに「ありがとうございました。ごちそうさまでし
た」とお礼を伝えますと、それを見た長男も、元気な声
で「ごちそうさまでした!」と言います。その声に気づ
た他のお客さんが「ぼうや、きちんとお礼が言えるなん
て偉いね」と褒めてくれて、店員さんたちも笑顔で見送
ってくださいました。

たった一言の感謝の言葉ですが、その思いは一瞬にして
店内に広がり、周囲の人々の笑顔を引き出しました。わ
ずかな感謝の言葉が、これほど温かな連鎖を生むのだと
改めて感じさせられた瞬間でした。

誰にでも実践できる仏道修行に、「言施(げんせ)」と
いう教えがあります。それは、相手を思いやり、優しい
心をもって語り掛けることを説いたものです。

「ありがとう」や「ごちそうさまでした」といった短い
言葉であっても、心を込めて伝えれば、相手の心を和ら
げるだけでなく、その響きが周囲にも広がり、人と人と
の温かな交流を育む力となります。日々の生活の中で、
こうした言葉の力を忘れず、心を込めて大切に紡いでま
いりましょう。

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2024/11/21~30   伝えることは学ぶこと

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

皆さんは誰かに何かを伝える時、どのように心がけてい
ますか?

私たちはしばしば「私ができるのだから、他人もできる
だろう」と思いがちです。しかし、実際は人それぞれで
あり、自分が出来ることが相手にも同じように伝わるわ
けではありません。

お釈迦様は、法句経というお経の中で、次のように説か
れています。
「他人に教えるとおりに、自分でも行なえ。
 自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであ
 ろう」と、(法句経159)

この教えは、人に何かを教える時には、自分も共に学ぶ
という姿勢を持ち、相手と同じ立場で向かい合うことの
大切さを示しています。

実は今年、このことを強く実感する出来事がありました。
皆さんは御詠歌をご存じでしょうか? 鈴(れい)と鉦
(しょう)という二つの楽器(法具)を用いて、お釈迦
さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまの教えを曲に乗せて
お唱えするものです。曹洞宗には梅花流詠讃歌という御
詠歌があります。

私はこの梅花流詠讃歌を十数年前に研修所で学び、それ
以降、研鑽を積むご縁を頂いております。今年の七月、
若いお寺さんたちに梅花流詠讃歌を教える機会を得まし
た。彼らは梅花流詠讃歌の作法をほとんど知らず、初歩
からの指導が求められました。しかし教える立場に立っ
てみると、いかに自分がその作法やお唱えを完全に理解
していないか、またそれをどう伝えるかがいかに難しい
かを痛感しました。

まさにその時、法句経の教えが心に浮かんできたのです。
「わかる」と「できる」は違う。知識を得ることと、そ
れを他者に伝えることには隔たりがあります。他者に何
かを伝える度に、自分自身がそれを学び直し、何度も繰
り返し実践することで、教え方の工夫や伝える際の注意
点への気づきがあります。その過程で、自分も過去に同
じような困難に直面していたことを思い出せば、他者と
の共感が深まることもあります。

皆さんも、誰かに何かを伝える時は、このお釈迦様の教
えを思い出してみて下さい。教えることは、自分自身を
高める機会でもあります。知識を言葉で伝えるのではな
く、自分自身がその教えを実践し、共に成長していく姿
勢が大切です。

その時、言葉では伝わらない何かが相手に届くはずです。
その道を自分も共に歩んでいることを示し、その背中で、
あなたを慕い信頼する人たちを導いていきましょう。

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2024/11/11~20   自分と向かい合う

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

経済産業省の発表によると、国内におけるゲーム市場は
二兆円を超え、ゲームは今や世界中で愛される日本の大
衆文化の一つとなっています。

私も子供の頃、ゲームに夢中になったことがありました。
中学2年になる息子が最近、昔流行っていたドラゴン退
治のゲームをしているのを見て、懐かしさを感じつつ、
ふと人生について考える機会を得ました。

息子がやっていたゲームは、ロールプレイングゲームと
いって、自分が物語の主人公になって、さまざま冒険に
挑むというゲームです。昔流行ったものだけあって、さ
まざまな攻略本がでていて、彼はその本を見ながら、難
題を次々に突破していましたが、やはり失敗もあります。
するとすぐにリセットボタンを押して、また最初からゲ
ームをやり直します。

ロールプレイングゲームは短期的に成功体験と満足感を
与え、プレイヤーに主人公としての役割を体験させます。
自分で決断し、仲間と協力し、困難を乗り越えていくそ
のプロセスは、まさに私たちの人生と重なるものがあり
ます。

しかし、ゲームの中では「リセットボタン」を押しさえ
すれば、どんな失敗もやり直しができますが、現実の人
生にはそのようなリセットは存在しません。自らの選択
の結果を受け入れ、その責任を引き受けなければなりま
せん。

お釈迦様は『法句経』においてこう説かれています。
「おのれこそ おのれのよるべ
 おのれを措(お)きて  誰によるべぞ
 よくととのえし おのれにこそ
 まことえがたき よるべをぞえん」

自分こそが、自分にとって最も信頼すべき存在であり、
他者に頼ることはできないという教えです。しかし、こ
こで言う「頼り」とは、他者を完全に排除するという意
味ではありません。むしろ、自らをしっかりと整え、冷
静な判断を下せる状態にしてこそ、真に頼るべき存在と
なるという意味です。

現代では、情報がすぐに広がるため、本当のことと間違
ったことを区別するのが難しくなっています。たとえば、
フェイクニュースや噂話が広まることが日常的になって
おり、それらが人々に不安を与えたり、間違った判断を
させることがよくあります。実際、SNSで広がる嘘の
ニュースやデマが原因で、企業や個人が大きな損害を受
けることもあります。

人生において、困難や試練に直面したとき、私たちはど
う行動すべきでしょうか?もちろん、他人の助けやアド
バイスを受けることは大切です。しかし最終的に、その
アドバイスや情報を元に行動するのは自分自身です。そ
の際、冷静にその情報の真偽を見極め、判断を下すこと
が求められます。そして、その結果がどうであれ、それ
を他人のせいにすることはできません。  

いたずらに他人に依存することなく、自分自身をしっか
りと持ち、冷静な判断と行動を心がけることこそが、充
実した人生を送る鍵となるでしょう。

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2024/10/21~30   のどもと過ぎても

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

新型コロナウイルスの影響を受け、私たちの日常生活は
大きく変わりました。例えば、以前は湯飲みで供されて
いたお茶が、今ではペットボトルのお茶に置き換わりま
した。熱いお茶に驚いて、慌てて飲み込んでしまうとい
う失態も、今では過去の話となりつつあります。

この「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」という諺は、どん
なに困難なことも、過ぎてしまえばその時の苦しみを忘
れがちである、という警句ですが、これを諸行無常とい
う仏教の教えに照らせば、良いことがあれば苦しいこと
もあり、悪いことがあれば良いこともある。苦しみは一
時のものに過ぎず、やがては終わるという前向きな意味
をもたらしてくれるのではないでしょうか。

お寺で執り行われる大法要は、参列する方々にとっては
荘厳かつ厳粛なものでありますが、法要に携わる者にと
っては大きな試練の場でもあります。そんな時にお坊さ
ん同士でよく声を掛け合う言葉に、「大丈夫、始まれば、
終わる」というものがあります。単純な言葉ですが、何
度も同じ状況を乗り越え、最善を尽くしてきた者だから
こそ交わせる言葉です。実際、私はこの言葉にどれほど
助けられたか分かりません。この言葉こそ、「無常」の
妙味が凝縮された一節といえるでしょう。

先日、愛媛県新居浜市にある瑞応寺さまという修行道場
で晋山式、すなわち住職就任式の大法要が営まれました。
その際に行われた禅問答で、修行道場のОBが新住職に
「道場での修行は非常に厳しいものでしたが、久しぶり
に戻ってくると、すべてが美しい思い出に変わっており
ます。なぜでしょうか?」と問いかけました。これに対
し、新住職は「妄想に溺れるでない!今すぐ道場に戻っ
てまいれ」と答え、その僧を厳しく戒めました。

このやり取りには深い意味があります。「妄想に溺れる
な」という言葉は、過去の苦労を美化し、現在の精進を
怠ることへの警告です。修行僧のОBが感じた「美しい
思い出」は、過去への執着であり、その経験に浸る妄想
に過ぎないのです。修行は今この瞬間にあり、過去に囚
われることなく、現在をどう生きるかが重要です。

また「道場に戻れ」という言葉は、物理的に道場へ戻る
ことを意味するのではなく、日常生活そのものが修行の
場であり、常に修行の心を持ち続けるべきことを示して
います。

この教えは、私たちの日々の生活にも通じるものです。
過去に浸らず、しかし忘れず、その時々で最善を尽くす
ことが、真の修行であり、無常の理に基づく実践です。
今、この瞬間をどのように生きるかが、何よりも大切な
ことなのです。

どうか皆様、喉元の熱さを忘れることなく、日々の暮ら
しの中で心を磨き続けていただきますように。

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2024/10/11~20   こころに灯りを

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

皆さま、お寺に並ぶ灯籠をご覧になったことがあるでし
ょうか。灯籠とは「灯りの籠」と書くように、その中に
灯火をともして周囲を照らすものです。しかし、その光
は単に足元を照らすだけではなく、亡き方々が迷うこと
なく歩みを進めるようにとの祈りが込められていると言
われております。

私が住職を務めるお寺の本堂と境内には、ある陶芸家の
方が手焼きをして寄進して下さった、直径30センチほ
どのドーム型の灯籠がいくつも並んでおります。

私がその方に、本堂の御本尊さまへの明かりが不足して
いると相談したところ、陶芸家の方は「では、陶器で灯
籠を作りましょう」と快く応じてくださり、さらに「賛
同者を募って灯籠の裏に名前を焼き入れ、参道の階段に
も灯籠を並べましょう」と提案してくださいました。

おかげさまで、この灯籠には多くのご賛助をいただき、
陶芸家の方は一つ一つの灯籠の裏に賛同者のお名前を丁
寧に焼き入れ、さらに配線や電球の取り付けまで手配し
てくださいました。その後も、灯籠に不具合がないか常
に気にかけ、時折お寺にお越しくださっては、笑顔で温
かい会話を交わす日々が続いておりました。

しかし、ある台風の夜、大変な報せが届きました。まだ
七十代初めのその方が急逝されたというのです。お葬儀
は、様々な経緯でお寺の本堂でお勤めすることになりま
した。よもや丹精込めて作ってくださった灯籠がご本人
を送る灯りになるとは…。遺影に手を合わせながら、こ
みあげる涙を止めることができませんでした。

あれから幾星霜が過ぎましたが、今なおあの灯籠は、故
人が私たちの歩みを静かに見守っているかのごとく、日
常を優しく照らし続けています。故人と深いご縁を持た
れていた方々が、その灯籠を一目見ようと遠方より足を
運ばれることもしばしばございます。その度に、灯籠の
穏やかな光を通して、故人の温かいお心が今もなお私た
ちの中に脈々と息づいていることを感じずにはおれませ
ん。仏教において「ご縁」という言葉は他者との結びつ
きを尊ぶものですが、この灯籠はまさしくその象徴とも
申せましょう。

仏さまを讃える御詠歌の中に「心の闇を照らします い
とも尊きみ仏の」という一節がありますが、灯籠の光も
また、私たちの足元だけでなく、私たちの闇をも照らし
てくれます。

どうか皆さまも、ご自身の心に灯りをともしてください。
日々の生活の中で、周囲の人々に対して温かい言葉をか
けたり、祈りのひとときを持ったりすることで、その灯
火は他者への思いやりや祈りとなり、周りの人々を照ら
す光となります。「遠くにいる大切な方が、私たちと共
に幸せでありますように。生きとし生けるものが、皆幸
せでありますように」と、共に願い祈ることで、その清
らかな心の灯火はやがてあまねく世を照らしていくこと
でしょう。

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2024/09/21~30   やわらかい心

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

私が住職を務めておりますお寺では、毎年5月末から7
月末にかけて、境内に植えられた花木の剪定を行います。
この作業はかつて先代住職である父が行っておりました
が、今は私がその役を引き継ぎ、一つひとつの木々に鋏
を入れております。

子供の頃から父の姿を見て剪定を手伝うこともあったた
め、作業には慣れていましたが、いざ一人で全ての花木
を剪定するとなると、思いのほか時間と労力がかかりま
す。特に近年の猛暑は、剪定作業をさらに厳しいものと
し、時には早朝や夕方の時間を利用して進めております
が、お寺ですのでご法事や急なお葬儀もございます。そ
のため、お盆が近づくと、どうしても炎天下での作業が
避けられず、疲労が蓄積してまいります。

そのような日々の中で、つい「この木はこれくらいで良
いだろう」と妥協してしまうことも少なからずありまし
た。しかし、ある日お参りにいらした檀家の方が、「綺
麗に剪定されていますね」とお声をかけてくださり、そ
の一言で私は自分の心がふっと軽くなるのを感じました。
さらに「お寺の境内に植えられた花木を見ることが楽し
みの一つです」ともお声がけくださり、それまでは毎年
の剪定作業を単なる義務としてとらえていた私の心に、
新たな視点がもたらされたのです。

それ以来、各地のお寺を訪れる際には、伽藍の美しさだ
けでなく、境内に植えられた花木にも目を向けるように
なり、自分なりの剪定の工夫を楽しむようになりました。
以前は単なる作業だった剪定が、今ではどのような形に
しようかと思案しながら楽しむものに変わり、疲労も軽
く感じられるようになったのです。

この変化は、まさに心の持ちようの違いに他なりません。
心の持ちようが変わることで、同じ行為でも全く異なる
見方ができるようになるのですね。

ここで思い起こされるのが『柔軟心』という禅の言葉、
禅宗の教えです。これは、自我や執着、偏見といった囚
われから解放された柔らかな心の在り方を示しています。

私たちは日々の生活の中で、無意識のうちに自分の経験
や知識に囚われがちです。それは時として自分の心を硬
直させ、視野を狭め、他者を受け入れる余裕を失わせて
しまいます。

しかし、柔軟心を持つことで、私たちの心は自由に広が
り、新たな視点や発見に出会うことができるのです。剪
定という日常の一コマを通して得た私の気づきは、まさ
にその象徴と言えるでしょう。

どうか皆様も、日常の中で心が硬くなっているなと感じ
た時には、『柔軟心』を思い起こし、自由な心、柔らか
い心で物事に臨んでみてください。そこには、必ず新た
な発見や喜びが待っているはずです。

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2024/09/11~20   木札に託された父の思い

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

私は愛媛県の山奥にあるお寺で住職を務めております。
今日はある訪問者との出会いについてお話ししたいと思
います。

それは数年前のことです。地元ではあまり見かけないロ
ードバイクに乗って、一人の男性がこの山寺を訪れまし
た。男性の名前はAさんといたしましょうか。Aさんは
数時間かけて遠くの町からやってきたとのことでした。
彼は手に一枚の古びた木札を握りしめ、「このお札をご
存じありませんか?」と尋ねてきました。その木札には、
当山のお寺の名前と、奥之院でお祀りしております本尊
さまの御尊名が書かれていました。「これは当山の奥之
院のお札ですね。随分と古いもののようですが、どうさ
れたのですか?」と尋ねると、Aさんはホッとした表情
で語り始めました。

「私は生まれて間もなく、先天性の障害があると診断さ
れました。そんな私を家族は大切に育ててくれ、おかげ
で無事に成長することができました。しかし、父はいつ
も寡黙で、私に対していつも厳しかったため、正直なと
ころ、あまり大切にされていないように感じて、いつも
寂しい思いをしていました。そんな父が体調を崩し、昨
年他界してしまいました。葬儀を終え、家族で遺品整理
をしていたある日、見慣れない木札が見つかりました。
よく見ると、その木札には私の名前と、施主として父の
名前が書かれていたのです。いつも厳しく、私のことな
ど気にしていない、大切に思ってくれていない、そう思
っていた父が、私のことを心から心配してくれていたこ
とに初めて気が付いて、どうしてもここに書かれている
場所に行ってみたいと思ったのです。」

Aさんはそう話してくださいました。当山の奥之院では、
毎年春と秋に火防と無事平穏、健康祈願などの御祈祷を
行っております。Aさんのお父さんも遠い町から家族の
健康と幸せを願い、藁をもすがる思いでお参りされたの
かもしれません。

Aさんの話を聞いて、「せっかくのことですからご案内
しましょう」と、お寺から400メートル程高い場所に
ある奥之院まで、私の車に乗っていただいてご案内し、
一緒にお参りをいたしました。Aさんは、父親が見たで
あろう同じ風景を見つめ、「こんなに山深い場所にまで、
父が来たことに唯々びっくりしています。でも、私のこ
とをここまで深く思ってくれていたことが分かって嬉し
かったです。本当にありがとうございました」と話され、
晴れやかな表情で帰路につかれました。

修証義というお経に『愛語』という教えがあります。愛
語とは、慈しみの心で相手にかける言葉を指し、善い行
いには喜びをもって讃え、過ちには優しさをもって諫め
ることの大切を説いています。

Aさんは木札を通じてお父さんの真意に気付き、感謝の
気持ちを持つことができました。でも、もしこの木札が
見つかっていなければ、お父さんの真意はAさんに伝わ
らず、寂しい思いを胸に抱えたままだったかもしれませ
ん。私たちは何かをしようとする時には、行動するだけ
でなく、相手を思いやる言葉を添えることで、相手に安
心と喜びをもたらすことができます。日々のコミュニケ
ーションに温かい言葉『愛語』を添えてみてはいかがで
しょうか。それが、大切な人との絆をさらに深める鍵に
なることでしょう。

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2024/08/21~31   一切皆苦

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

お釈迦さまは「すべては苦である」(一切皆苦)とお説
きになりました。ここで言う「苦」とは、思い通りにな
らないことを示しています。生まれること、老いること、
病気になること、そして死ぬこと。これらは私たちの意
思とは無関係に訪れます。生きるということは、この苦
しみと共に生きることであり、それを避けて通ることは
できません。必ず訪れる変化による苦しみ、それにどう
対処するかが、限りある命を生きている私たちの課題で
す。

高齢化率が21%を超えた現在の超高齢社会において、
病気をしない、認知症にならない、人の世話にならない、
そんな自立した老人が理想とされています。しかし、時
が経つにつれて老いるのは自然の摂理です。体が思うよ
うに動かなくなる、物忘れが増える、病気が増える。こ
れらは避けられない老化現象です。美しく老いるという
言葉をよく耳にしますが、実際には多くの人が老いたく
ないと感じているのではないでしょうか。

先日、学生時代の友人に久しぶりに再会しました。その
友人は「曽根、変わらないね」と言いました。私は「そ
んなことはないよ」と返しましたが、心の中では悪い気
はせず、若さへ執着している自分を感じました。しかし、
たとえ外見が変わらなくても、時代の変化、環境の違い、
経験の積み重ねによって会話の内容は変わってきます。
健康ブームということもあり、自然と健康の話にもなっ
たのですが、48歳となった私たちの会話は、コレステ
ロールの数値や人間ドックの結果、関節の痛み、睡眠の
質といった、若い頃には話題にもしなかったことばかり
でした。お互い元気で頑張ろうなと言って別れましたが、
少し前までは家族や仕事の話が中心で、学生の頃は友人
や恋愛の話が多かったことを思い出します。話の内容の
変化を通じて、自分自身が年齢を重ねていることを自覚
しました。周囲の変化を見ても実感が湧かなかった老い
が、私にも迫ってきたのです。

私たちは現状維持を好みます。変化を容認するにはパワ
ーがいるからです。しかし、お釈迦さまが説かれた「一
切皆苦」の教えは、人生の変化や苦しみを避けられない
ものとして受け入れることを示しています。老いや病気
は避けられませんが、それを自然な変化として受け入れ
ることで、人生の新たな意味が見えてきます。生きにく
さや生きやすさを決めるのは自分自身です。過去に囚わ
れるのではなく、今を大切に生きること。変化を恐れず、
自分と向き合い続けることで、私たちはさらに豊かに生
きることができると思うのです。今日という一日、今こ
の時を、共に大切に過ごしてまいりましょう。

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2024/08/11~20   諸行無常

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

『一生 百歳のうちの一日は ひとたび失わん ふたた
び得ることなからん』これは、道元禅師さまのお言葉で
す。

山や川といった自然、大都会に林立する近代的な高層ビ
ル、人の命や人の心。目の前に広がる世界や物事に永遠
というものはなく、絶えず変わり続けます。私たちの命
に、明日や未来に対する保証はなく、今この瞬間に何が
起こるかもわかりません。私たちは、限りある命を生き
ています。

道元禅師さまは冒頭のお言葉で、今日という一日、今こ
の時を懸命に生きるようお示しになりました。この教え
を胸に、私たちは限りある命を大切に運んでいかなけれ
ばなりません。

私の師匠である父は、七十四歳になった令和元年に住職
を退き、東堂すなわち前住職の立場になりました。毎日
をのんびり過ごすのかと思いましたら、住職を引退する
前と同じように、毎朝、坐禅を組み、朝の勤行を行じて
います。

お葬儀やご法事は、引退したからという理由で行わなく
なりましたが、それ以外は住職時代と同じ生活をしてい
ます。私が「もっとゆっくりしたら?」と言うと、「お
前に何かあったら困るだろ」と冗談めかして笑っていま
す。その横顔からは、「この世に生を受けて、お坊さん
として過ごしてきて、これからも、お坊さんとして生き
ていくのだ」という師匠の強い信念と、「住職に何事か
があったときに、前々から予定を組んで法要をおこなう
檀信徒に、迷惑を掛けることがあってはらない」という
前住職としての責任感が垣間見えました。

私たちは与えられた仕事や物事に一区切りつくと安心し
ます。その安心は、重圧からの解放感であり、やり遂げ
たという満足感から来ています。しかし、実際には自分
の立場が変わっても日常は続き、人生は終わりません。
自分の人生は、誰とも交換することができない貴重な時
間です。師匠の姿に触れることで、限りある命、限りあ
る時間にどう向き合うかが大切であることに気づかされ
ました。

人は八十歳まで生きると、そのうち二十七年は寝ている
時間で、十年は食事に、五年はトイレの時間に使われて
いるのだそうです。となると、起きている時間は、実際
には三十八年しかありません。限りある命だからこそ、
今この時間を大切にし、自分のすべきことを考えて積極
的に過ごしてまいりましょう。

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2024/07/21~31   坐禅~泥中の蓮華~

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

先日、用事を済ませた帰り道でのことです。近道はない
ものかと車を走らせているうちに、いつの間にか大きな
ため池の堰堤にでてしまいました。その堰堤で私の目に
飛び込んできたのは、まるで極楽浄土のような池一面に
広がる蓮の花。その光景をみて、私はある方を思い出し
ました。

今年、二十五回忌を迎えるМさんは、真言宗のお寺の総
代さんでしたが、拙寺の坐禅会に毎週欠かさず参加され
た方でした。大正2年生まれで、二・二六事件の際には
近衛師団に所属し、皇居での天皇陛下警護を経験されま
した。太平洋戦争にも従軍し、帰還後は家業の農業に従
事しながら多くの仕事をこなしてきました。他宗のお檀
家さんでありながら、拙寺の施食法要では「これが私の
命ある限りの務めやと思ってます」と言って、戦友たち
の供養をされていました。

ある日の坐禅後の茶話会で、Мさんは「坐っとる背中の
後ろでライターのカチカチする音を聞いたら、拳銃の音
みたいで背筋が凍るわ」と話されました。私たちが驚い
ているとМさんは「戦争に行った者しか分らんわなぁ」
とつぶやかれたのです。翌週の坐禅会からは、早目にロ
ーソクとお線香に火を点けるようにしたのは言うまでも
ありません。

ある日の茶話会では「ここの坐禅会はほんまに有難いと
ころやと思うわ。坐禅の間は仏さんが大勢坐っとるし、
余計な心配も危ないこともない。この坐禅堂こそがお浄
土そのものやな」とも話されました。参加者一同、深く
頷いたことは申すまでもありません。

お浄土は「仏国土」とも言い、苦しみや煩悩がない清ら
かな場所を意味します。その反対は「忍土」つまり「娑
婆世界」です。皆さんがよく知る「極楽浄土」は阿弥陀
さまの浄土です。一方、お釈迦さまの浄土は、私たちが
日々悩み苦しむ「娑婆世界」。この世界こそがお釈迦さ
まの「浄土」なのです。

道元禅師は「仏となるにいとやすきみちあり・・・心に
おもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく」
とお示しです。Мさんは、この言葉を体現するように戦
前戦中を生き抜き、戦後の変化に適応しながら、「この
身がそのまま仏であり、この世のほかに浄土はない」と
達観されていたに違いありません。Мさんの姿はまさに
泥中の蓮華でした。

道に迷ったおかげで出会えた、ため池一面の蓮の花にМ
さんを思い出し、苦難の中でも心の平穏を見出し、周囲
に感謝しながら生きることの大切さを改めてかみしめた
ことでした。Мさんのように日々の暮らしの中で心を静
かにする時間を持ち、自分自身を見つめ直し、感謝しな
がら日々を過ごしてまいりたいものですね。

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2024/07/11~20   思いやる心

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

近年はお参りでお檀家さんに行くと、ペットボトルのお
茶が増えました。お経が終わると「暑いなぁ、和尚さん
ペットボトルにしたけど、飲むやろ?」といいながらキ
ャップを開けてくれようとしますが、なかなか開きませ
ん。

そんな様子を見て最近、お寺に来られた方に、キーホル
ダー状のペットボトルオープナーを差し上げています。
するとご年配の方は「コレええなあ、助かるわぁ!最近
のペットボトルのキャップは堅うて、なかなか開かんの
やぁ」と仰います。私は「そうですねぇ」と言いながら、
内心「イヤイヤ、年を重ねて力が弱くなっただけやと思
うけどなぁ・・」と、思っています。誰もが自分を基準
にものごとを考えていることがよく分かりますね。

お釈迦さまがご在世の頃、インドにコーサラという国が
あり、プラセーナジット(波斯匿=はしのく)という王
が治めていました。その妻マッリカー(末利夫人=まり
ぶにん)はシャカ族の出身で、嫁ぐ前からお釈迦さまに
帰依していました。

ある日、王は妻の末利夫人に訪ねます。「あなたにとっ
て自分自身以上に愛おしい人はいますか?」末利夫人は
熟考して「王様、私には、この世に自分より愛おしいと
思われる人はいません」と答えました。王は「います。
王様、それはあなたです」と言ってほしかったのかもし
れませんね。 そして、末利夫人はすかさず質問します。
「では、王様はいかがでしょうか?王様にはそのような
人はいますか?」王様もしばらく考えて「いいや、私も
同じだよ。自分ほど愛おしい者はこの世にいないよ」と
答えました。

しかし、そうは答えたものの「私は自分自身がいちばん
大切なのか。しかし、一国の王としてそれでいいのだろ
うか?」王は不安になりました。

あくる日、王はお釈迦さまを尋ね、教えを乞いました。
お釈迦さまは、こうおっしゃいます。「王よ、心配する
ことはない。末利夫人の言うとおりだ。自分自身がいち
ばん愛おしいという思いは、だれもが同じなのだよ」

そうなのです。みんなが自己中心的なのです。もちろん、
私もそうです。我々人間や生き物だけではないでしょう。
水は高いところから低いところへ、地球は西から東へ廻
っています。誰かのために反対に流れたり廻ったりはし
ません。自己中心的で良いのです。でも、本当にそれだ
けで良いのでしょうか?

更にお釈迦さまはおっしゃいます。「自分が愛おしいの
と同じように、他の人々も皆、自分がいちばん愛おしい
のだ。だからこそ、決して人を傷つけてはならないのだ
よ」 と。

他の人にとっても、どんな生き物にとっても、自分自身
ほど愛おしいものは他にはないのです。そこに心底気付
いたら、決して他人に嫌なことなど出来るはずがありま
せん。人が嫌がることを言えるはずがないのです。

静かに坐って心を落ち着け、自分自身を見つめてみまし
ょう。そうすると、自分の自己中心さに気がついたり、
他の人の気持ちがわかるようになります。そして、その
気づきを他の人への優しさに変えることができれば、私
たちの世界はもっと優しく、温かい場所になります。人
への配慮や思いやりを大切にしながら生きることで、自
分も豊かな心を育むことができるのです。

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2024/06/21~30   食から見直す

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹 師

私の長男は現在幼稚園の年中で、軽いアトピー性皮膚炎
の症状があります。アレルギーは遺伝要因と環境要因が
組み合わさって発症すると言われていますが、実は私も
アレルギー体質です。彼は朝晩に漢方の飲み薬を服用し、
患部には保湿薬を塗っていますが、それでも寝ている時
など無意識に痒がって肌を掻いています。その姿を見る
たびに、自分の体質が遺伝してしまったのだと辛い気持
ちになります。

彼にはネギ、ニラ、ニンニク、生姜、キノコ類が良いら
しく、夕食にはなるべくこれらを取り入れています。逆
に、揚げ物、ポテトチップス、チョコレート、白砂糖が
多く含まれる食べ物は避けるようにしています。ご近所
さんからこれらのお菓子を頂いたときには、可哀そうで
すが食べさせることができません。

最近、「このお菓子は何歳から食べられる?」と聞かれ
ることが多くなりました。「小学生になったらきっと大
丈夫だよ。」と答えると、嬉しそうに「もう少しお兄ち
ゃんになってからやね。」と笑顔で言ってくれます。好
きなお菓子を好きなだけ食べさせてあげたいのですが、
今は彼の成長と体質の改善を願いつつ、その笑顔を見守
る日々です。

先日、私はお寺の青年会の集まりで人間ドックを受けま
した。その結果、いくつかの数値に問題があると指摘さ
れたのですが、その中のひとつが高めの尿酸値でした。
医師からは「脂っぽいものを控えめにして、野菜や海藻
類を多く食べること。それと、日々の運動を心掛けるよ
うにしてください。」と指導を受けました。

この指導を受けて、私はハッとしました。自分の食生活
のことは棚に上げて、長男のアレルギー改善のための食
生活にばかり目を向けていたのです。幼い彼には脂っぽ
いものやスナック菓子を好きなだけ食べさせたいとも思
いますが、そうした食生活は彼ばかりでなく、誰の体に
も良くありません。栄養のバランスがとれた食生活は、
彼ばかりではなく誰にとっても大切なものです。

曹洞宗には食事の前にお唱えする「五観の偈」という短
い偈文があります。その中には「心を防ぎ過を離るるこ
とは、貪等を宗とす」という一節があります。美食に向
かえば喜色満面、粗末な食事には不満を感じ、毎日同じ
献立にあえば不平を言う。そんな貪りや怒りや愚かさに
満ちた自分にならぬよう、まずは食から生活を見つめ直
しましょうと教えています。日々の食事を通じて体の健
康を維持し、心の持ちようを見直して、健やかで穏やか
な毎日を目指してまいりましょう。

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2024/06/11~20   自他不二

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹 師

「お父さん。ご飯が終わったら、すごろくをやろう!」
と、幼稚園の年中さんになった長男が、連日夢中になっ
ているすごろくに誘ってきます。私が子供の頃のすごろ
くは、サイコロを振ってゴールまで進むだけのとてもシ
ンプルなゲームでした。

ところが、長男が誘ってくるのは「おつかいすごろく」
といって、日本中を旅しながら各地の名産品を3つ集め
て、ゴールに持ち帰るというすごろくです。目的地はカ
ードを引いて決めるため、みんな別々。目的地への行き
方も車や新幹線、飛行機などがあります。子ども向けの
ゲームとはいえ、目的地が一人一人別々で、乗り物も選
ぶことができるため、大人でも楽しめるのが特徴です。
実は、私も妻もこのゲームの難しさに面白さを感じて、
子供と一緒に真剣にゲームを楽しんでいます。私が四十
六歳、妻が四十二歳、長男が四歳なのですが、すごろく
が親子の差を越えて楽しめるのは凄い事だと思います。

しかしながら、すごろくを楽しんでいる時にある問題が
起こりました。長男が勝ちたいあまり、不自然なサイコ
ロの投げ方をするのです。私の妻はすぐに注意をしまし
た。「一人がずるい事をすると、みんながつまらなくな
るんだからね!」「ずるい事をするとみんながすごろく
をやりたくなくなるよ!」と長男に言い聞かせました。

確かに妻の言う通りです、ゲームはルールを守って行う
ことで楽しくなるものです。ところが、そのときの私は、
その状況で何と言ったら良いか分からず、言葉が出ませ
んでした。長男に分かりやすく説明できる一言がパッと
出てこなかったです。私は、あの時あの場で、どう言い
聞かせれば良かったのでしょうか?

そんなことを考えていてふと、「自他不二」という仏教
の言葉に思い至りました。自他不二とは、自分と他人は
別人でありながら一体であり、すべての存在はつながっ
ているという意味です。つまり、相手が楽しい時間を過
ごしていれば、私も楽しく過ごすことができ、私が楽し
んでいれば、相手も楽しく過ごせるということ。すごろ
くで遊んでいる時ならば、相手と自分は敵と味方ではな
く、同じゲームで遊ぶ仲間だということですね。

次の機会こそ、同じような状況があったら長男に教えて
あげたいと思います。「おつかいすごろくの一番は、一
番にゴールに着いた人じゃないからね。すごろくを一番
楽しんだ人が一番なんだよ。それに、一緒にすごろくを
している人を楽しませた人も一番なんだよ」と。お互い
を楽しませながら、お互いに楽しもうと思います。

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2024/05/21~31   受け嗣ぐ

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

先日、法事の席で六十代と思しき檀家様から「和尚さん、
私は御本山の永平寺で数日間、参禅したことがあるんで
す」と、お声がけいただきました。その方は若い頃から
道場に通い、剣道に打ち込んでいましたが、四十代の頃
に師匠から「剣筋が怒りと不満で乱れている。永平寺に
参拝して坐禅を組んできたらどうだ」と勧められたのだ
そうです。

そこで、永平寺に参篭して数日間、修行僧に準じた生活
を送りながら坐禅に取り組んだところ、自分の剣筋の乱
れの原因となっていた怒りと不満の正体に気付くことが
できました。それは、四十代ならではの職責のストレス
と子育てのプレッシャーでした。永平寺から帰った後の
ことについては、その方の笑顔がすべてを物語っていた
ように思います。

剣先の乱れに心の乱れを察知した師匠の眼力は、長年の
修練のたまものなのでありましょう。そしておそらくは、
その師匠も同じような境遇を経験し、剣の乱れの原因と
解決法を既に知っておられたのではないでしょうか。し
かし、答えは自分自身で見つけ、解決するしかないと判
断されたに違いありません。故に、永平寺への参拝を勧
められたのです。

曹洞宗では、機が熟した弟子に対して師匠が真の仏法を
受け嗣がせるために「嗣法」という儀式を行います。そ
の儀式は「一器の水を一器に瀉ぐが如し」と形容されま
す。師匠の教えを水に例え、その教えという水を弟子が
一滴残らず受け取るためには、弟子は十分な器、つまり
力量を備えていなければなりません。師匠の教えという
水を減らしたり、濁らせたりしてはならないのです。

剣道の師匠がその方に永平寺での参禅を勧めたのも、単
なる技術指導にとどまらず、人生の様々な問題を乗り越
えるための気づきを与え、自分自身を見つめ直し、自分
の力で解決する術を身につけさせるためだったのでしょ
う。そしてそれは、剣道の真髄を師匠が弟子に受け嗣が
せる、いわば「嗣法」のための大きなステップだったの
ではないでしょうか。

現代社会では、日本に限らず世界中で、手っ取り早くと
か、自分さえ良ければという危うい考え方が蔓延してい
ます。こういう時こそ、私たち一人一人が先人の知恵や
経験を大切にして、インターネットなどに氾濫している
情報に踊らされることなく、自分自身を見つめ直し、争
いのない穏やかな生活を目指してまいりましょう。

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2024/05/11~20   六根清浄

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

五月五日は二十四節季の立夏、新緑が眩しい初夏を迎え
ました。先日は徳島県の剣山で山開きが行われたそうで
す。私はそのニュースを聞いて、西日本最高峰の山、愛
媛県の石鎚山に登ったときの記憶が蘇ってきました。あ
れは夏の頃でした。いくつもの鎖を使って急な岩場を登
り、ようやく山頂にたどり着いた時の空気の冷ややかさ
と、達成感を今に思い出します。

さて、山登りの小休止が終わって立ち上がろうとすると
きもそうですが、重いものを持ち上げたり、立ち上がっ
たりするときに「どっこいしょ」と言うことがあります
よね。

この語源には諸説あるようですが、山岳信仰の修験者や
信者が山に登るときに「六根清浄」と唱えたことが由来
だとも言われています。つまり、「ろっこんしょうじょ
う」が「どっこいしょ」に変わっていったということで
すね。

六根とは、眼、耳、鼻、舌、体、そして心。つまり、色
や音、匂い、味、触感などの刺激を受け取る体の器官の
ことを意味しています。心は何かの刺激をきっかけにし
て過去を思い出したり、想像したりするもので、いわゆ
る直感もその一つといえましょう。これら六根は、自分
と他者の関りや、自分と他者を比較するときに重要な役
割を持っています。

私たちはとかく、自分と他者とを比較して、あの人より
も美しくなりたいとか、おしゃれをしたいとか、えらく
なりたいなどと思いがちです。それはそれで仕方のない
ことですが、気を付けていないと、それらの欲望に囚わ
れてしまいます。その結果、他者から妬まれたり、僻ま
れたり、ときには軽蔑されることもあるでしょう。

では、その六根で感じることを自分の欲望だけを満たす
ためや、自分だけが喜ぶためではなく、他者の笑顔のた
めに使ってみたらどうでしょうか?自分と他者がともに
気持ちよく過ごせるように、教室や職場をきれいにする、
笑顔を心がける、相手に優しい言葉をかける。そうされ
て不快に思う人はいないはずです。むしろ、感謝や労い
の気持ちが行き交い、穏やかな雰囲気になるのではない
でしょうか?自分自身と他者がともに笑顔になれる行い
が、新しい良い繋がりを生むことになります。

私たちが六根で「感じる」ということは、他者と六根で
「繋がっている」ということです。六根を欲望で曇らせ
ることなく、みんながお互いに気遣い合い、笑顔で過ご
せるよう、「六根清浄、どっこいしょ」を心がけたいも
のですね。

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2024/04/21~30   深い眼で

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

先日、先代の住職が昭和の終わりに記した文書が見つか
りました。その中には、お釈迦さまの弟子である阿難尊
者が、王様から多くの布衣を施された際に、その使い道
を問われる話が収められていました。

王様が「尊者はこのような多くの衣をどうされますか?」
と問うと、阿難尊者は「衣の破れた弟子たちに分け与え
ます」と答えました。そして王様が「その破れた衣はど
うされますか」と尋ねると、阿難尊者はこう答えました。
「破れた衣で床布を作ります。古くなれば、それを巻い
て枕の中身に、また古くなれば敷物に、さらに足拭き、
雑巾、最後は細かく裂いて壁の塗りこみに使います」。
王様は「お釈迦さまの弟子たちは、物の活用を善く心得
ておられる」と感心してその場を去ったというお話です。

このお話について先代の住職は、「悟りある人は無駄を
省き、生活を乱さず、自信を持って生きる」とコメント
しています。

先代住職は、ものを無駄にせず大切に使っていました。
倉庫の壁には、徳島で有名な海苔の丸箱がびっしりと並
べてあって、ネジやクギなどが細かく分類されて収納さ
れていました。段ボールにはぴったりとシワを伸ばした
レジ袋がいっぱいに積み重ねられていました。袋は経年
劣化で使えなくなっていましたが、先代の住職の心意気
はハッキリと伝わりました。

阿難尊者は王様から寄進された衣を弟子たちに分け与え、
その衣が使えなくなった後の使い方にまで心を配られま
した。先代住職は、いつだれが使っても良いようにと、
ネジや釘やレジ袋をきちんと整理して保管していました。
阿難尊者も先代住職も、目先のことに流されることなく、
それぞれのモノを大切に扱い、先々の使われ方や使う人
にまで心を配っていました。

翻って現代の私たちの生活はどうでしょうか?「便利」
という名の下に「使い捨て」のような単純で短絡的な思
考に馴らされ過ぎていないでしょうか?

世間に起きる事件、インターネット上でのいじめや中傷、
スマートフォン依存やゲーム中毒など、どれも豊かな想
像力や深い思考を欠いている傾向があるように思います。
インターネットの向こうには人がいます。ゲームは作り
手の世界観を超えることはありません。そして何より、
人は誰でも、私やあなたと同じ、心を持っているのです。
目の前の物事や周囲の人々を一歩立ち止まって深く見つ
め直しましょう。そうすれば、モノへの見方や使い方、
周囲の人との新たな関わり方が見えてくるはずです。

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2024/04/11~20   あるがまま

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

先日、お寺の境内に直径2mを超える大きな繭の球が5
つ、置かれました。この球は、1万匹ものお蚕さんを自
然な円運動でゆっくりと回転させながら作ったもので、
それを自然染色家の伊豆原さんが染めたものです。山の
ふもとでウグイスが鳴き合っているのどかな境内に突然、
5つの惑星が現れて、宇宙空間のような不思議さと静け
さを醸し出しました。

それと同時に、お蚕さんの繭から絹の布を織り、大きな
トンネルにしたものも展示されました。大人も子供もこ
のトンネルの中に入り込み、入り口の円形に切り取られ
た満開の桜を楽しみながら、そこに並べてあるいくつも
の小さな鐘の音を鳴らして耳を澄ませます。境内の宇宙
のような大空間の中に、誰もが落ち着けて楽しめる小空
間、小宇宙を作り出す仕掛けでした。

ところが、このトンネルを据え付けるのが思いのほか大
変なのでした。トンネルを吊るすためには、大きな支柱
を立てる必要がありました。さて、どうしたものかと考
えていた時に目に留まったのが、枯れかけた山桜の木で
した。

数年前から勢いがなくなり、花も少なくなったので、切
ろうかと言われていたのを、一つでも花が付くうちは生
かそうと、切らずにいた桜です。とうとう今年は花を一
つも付けず、ああもう切らねばなるまいかと残念に思っ
ていたのですが、そこでひらめいたのが、この山桜をト
ンネルの支柱にできないものか?ということでした。

大勢の人の助けを借りて、自然な色に染められた絹織り
のトンネルが山桜の枝に吊られました。「枯れ木に、花
が咲いた!」・・・誰もが、そう思いました。枯れ木に
花を、咲かせましょう。トンネルを吊った皆が、花咲か
じいさんになりました。死の世界に踏み出していた木を
生の世界に戻すことができたのでした。

私は「あるがままの世界の中では、生も死もなく、生や
死が尽きることもない」という『般若心経』の世界をそ
こに見ました。大自然の中では、新緑の若葉は秋に紅葉
し、冬には枯れ葉となります。けれども、散った葉は積
もり積もって腐葉土となり、新たな芽吹きの温床になり
ます。一枚の葉っぱの生と死は絶えず繋がっている。そ
れが大自然の姿であり、あるがままの世界です。

桜の木も死を乗り越えて支柱として生かされました。死
には価値がなく、目の前にある生だけに価値があるとい
う偏った見方をせず、あるがままに過ごしていくことが
最も大切なのだと般若心経は教えています。般若心経の
教えにしたがって、穏やかな毎日を過ごしていきたいも
のですね。

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2024/03/21~31   思いやる心

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

長い間一緒にいた大切な人が亡くなる前に『虫の知ら
せ』というものを耳にすることがありますが、実は私
も同じような体験をしたことがあります。それは、今
から20数年前のことです。

その日、私は修行道場での生活が二年目に入った、あ
る夏の日でした。私はその日、梵鐘などの鳴らし物を
用いて時間を知らせる鍾点という役目についておりま
した。お昼を知らせる鐘をつくために外に出て空を見
上げると、雲ひとつない真っ青な空が広がっていまし
た。鐘楼堂へ向かおうと歩き始めた時、何かが私の足
にスリスリと触れる感触がありました。その瞬間、私
は思わず「リキ?」と大きな声を出していました。

リキというのは、私が小学校一年生の時に家にやって
きた子犬の名前です。彼はいつも元気いっぱいで、私
が小学2年の夏に大きな野良犬に襲われそうになった
ときには、その身を挺して私を守ってくれたこともあ
りました。私がそばに立つと決まって、遊んでほしそ
うに頭を足に擦り付けてきて、そのふさふさの毛の感
触はとても心地よいものでした。

しかし、高校を卒業して県外の学校に進学してからは
半年に一回、修行生活に入ってからは一年に一回しか
会えなくなり、修行2年目の春に帰宅したときには、
リキはすっかり年老いていました。それでもリキは大
喜びで私を迎えてくれて、いつものように頭をスリス
リとこすりつけてくるのでした。短いお休みが過ぎ、
修行道場に戻る日、私はリキの頭をなでながら「また
帰ってくるからね、元気でおってよ」と声をかけて家
を出ました。

それから数か月後、あの夏の日の鍾点当番の日。私の
足にリキの頭の毛の感触が伝わってきたのです。それ
はまるでリキが挨拶をしにきたかのような感触でした。
私が小学校一年生からおよそ18年の歳月を一緒に過
ごしてきた大切な家族であるリキのことを『元気でい
るだろうか』と心から案じていたように、リキも私の
ことをそう想ってくれていたのかもしれません。

そんな不思議な出来事があった夏が終わり、秋が来て、
冬が過ぎ、三年目の春。お休みをいただいて家に帰る
とリキの姿はありませんでしいた。そうです、あの夏
にリキは旅立っていたのです。「どうして知らせてく
れなかったの?」と姉を問い詰めると、姉は「あなた
には伝えなくても分かっているような気がして…」と。
姉の言葉を聞いて「ああ、やっぱりあれは、リキのお
別れの挨拶だったのか」と、胸が熱くなったことが昨
日のように思い出されます。

このお話はけして、いわゆる不思議体験とか心霊現象
といった類のことをお伝えしようというものではあり
ません。おそらくは、年老いたリキのことが私の心に
引っかかっていて、着物の裾が当たった感触がリキの
毛の感触と錯覚しただけのことだったのだと思います。
ただ、この一連の体験から私は、家族との絆が時間や
距離を超えて存在するということ、互いの幸せを願い
合うことの大切さを学びました。

修証義というお経に「同事というは不違なり」という
言葉があります。これは、「相手と同じ立場に立ち、
同じ気持ちで考え、ともに喜び、ともに悲しみ、寄り
添って生きよ」という教えです。思えば、リキと私も、
お互いを思いやり、心を寄り添わせながら過ごした1
8年でしたし、リキとの思い出は今も色あせることは
ありません。

そうした思いは家族だけに限らず、すべての生きとし
生けるものに向けていかねばなりませんね。願わくば、
お互いが心を通わせ、お互いの幸せを願いながら過ご
せる世界が訪れますように。憎しみや争いのない、穏
やかな日々を過ごすことが出来ますように。

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2024/03/11~21   勘定に入れず

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

私が住職をしているお寺では、お釈迦さまの御命日であ
る2月15日から春彼岸の3月末にかけて、涅槃図を本
堂の脇間にお掛け致しております。涅槃図とは、お亡く
なりになられたお釈迦さまを取り囲んで、大勢のお弟子
様方をはじめ、さまざまな動物たちまでもが、嘆き悲し
んでいる姿が描かれています。

今年も涅槃図をお掛けして手を合わせていましたら、絵
の中の犬を見つけ、子供の頃に飼っていたリキの事を思
い出しました。リキというのは、私が小学1年生の頃、
我が家にやって来た犬の名前です。来てすぐの頃は小さ
い体でおどおどしていましたが、中型犬ほどの体格にな
る頃には、やんちゃで悪戯ばかりするようになり「かわ
いい」と思う一方で「なんだ、こいつは!」と思うこと
もしばしばでした。

そんな折、ある出来事が起きました。友達の家に私とリ
キ。一人と一匹で遊びに行った帰りの山道での事です。
私たちの前に突然、大きな野良犬が現れたのです。こち
らに気づいたその大きな犬は、わずか数メートルの距離
で立ち止まると、低い唸り声をあげだしました。幼かっ
た私は恐怖のあまり体が凍り付き、その場で動けなくな
ってしまいました。と、その時です。傍にいたリキが私
とその犬の間に割って入り、自分のふた回り以上もあり
そうな大きな犬に唸り声をあげたかと思うと猛然と飛び
かかっていったのでした。

目の前で繰り広げられる二匹の戦いはほんの数分程であ
ったのかもしれませんが、私にはとても長い時間に感じ
られました。激闘の末、大きな犬は踵を返して走り去っ
ていきましたが、リキはその場でうずくまり動けなくな
ってしまいました。

リキに駆け寄った私は「リキ!大丈夫か?ありがとう!
ありがとう!」と頭を撫でながら何度も繰り返すばかり
でした。しばらく経ち、それでも立ち上がれそうにない
リキを、『今度は私が助けるんだ!絶対に家まで連れて
帰るんだ!』そう思って抱きかかえ、家まで歩いて帰り
ました。

いつもは抱きかかえられるのを嫌がるリキなのに、大人
しく抱きかかえられていたのを今も憶えています。それ
から数日が経ち、リキの怪我が癒える頃には、以前と比
べてぐっと信頼関係が強くなったように感じました。

修証義というお経の一節に『利行』という言葉がありま
す。利行とは、一言でいうと誰かを助けるということで
す。修証義では次のように教えています。『助けるとい
うことは、それが人であれ動物であれ、ただ無心に相手
のことを案じて行動を起こすことである。』と教えてい
ます。

リキが自分よりもはるかに大きい犬に向かっていった姿、
傷ついて動けなくなった姿を40年近く経った今も鮮明
に憶えています。おそらくリキは、私と一緒でなかった
ら尻尾をまいて退散していたはずです。でも、あのとき
のリキは幼い私を助けようとして、自分の命を顧みず果
敢に立ち向かってくれました。リキのことを単に自分の
家の飼い犬だ、言うことを聞かないやつだと、心のどこ
かで見下していた私だったにも拘わらずに・・。

そんなことを思い出しながら、私はあの時、リキから利
行の何たるか、「相手がだれであろうと、へつらうこと
なく、見下すこともなく、名誉や称賛などの損得を勘定
に入れずに行動することの大切さ」を教わったのだと、
今更ながら気づかされたのです。私たちは多くの命に囲
まれて、支え支えられという、ご縁の中で生きています。
そのご縁を大切に、皆が笑顔でいられるよう心を尽くし
ていかなければと、涅槃図の前で心新たにしたひと時で
した。

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2024/02/21~29   無縄自縛

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

先日、今年四十歳になる友人と会った時のことです。少
しうんざりした様子で「最近よく、結婚しないの?と聞
かれるようになって…」と、話しだしました。「それは
先々のことを心配してくれているんじゃないのか?」と
私が応えると、「独身でいるのを寂しいものだと決めつ
けられても困るんだよ。親や親戚が心配して言うのなら
まだわかるけど、同級生や知り合いに言われてもなあ。
おれは今の生活で、リア充なんだよ。誰にも迷惑かけて
ないのだけどね」とぼやくのです。

ちなみにリア充とは、今時のSNSなどを通した仮の姿
ではなく、リアルな人間関係や趣味を通して人生を楽し
んでいること。「リアルが充実している」を略してリア
充と言います。

その友人とは「十人十色・百人百様・千差万別。人生百
年の時代には、結婚もさまざまな選択肢の中の一つとい
うことだね」とか「大人になったら結婚するものだとい
う固定観念をついつい口にしてしまう人も多いんだね」
などと話し、「またね」と別れたのですが、実は、少し
複雑な気持ちも残りました。

現代人は健康寿命が大幅に伸びました。科学技術の進歩
や価値観の多様化など、私たちをとりまく環境の変わり
ようは、昭和の時代とは比べ物になりません。人生の選
択肢も多くなりました。

社会人としての常識や人生観を持つことは大切ですが、
時としてそれが固定観念として柔軟な発想や適切な判断
力を妨げることがあります。私も昭和の時代の空気を浴
びて育った世代の一人です。気を付けていたつもりでも、
知らず知らずのうちに、さまざまな固定観念にとらわれ
てしまっているのではないだろうか?偏った常識やこだ
わりに縛られているのではないだろうか?複雑な気持ち
の正体は、自分自身への不安だったのかもしれません。

禅の教えに、無縄自縛(むじょうじばく)という言葉が
あります。自らを縛る縄など無いという四文字からなる
言葉は「あなたを縛っているのは、あなた自身である。
思い込みや先入観、執着や妄想を捨てなさい」と教えて
います。

人は年齢を重ねるにつれて、自分の考えが固定され、柔
軟さを失いがちです。しかし、「命を大切にすること」
「みんなと仲良くすること」「相手を思いやること」な
ど、人が生きる上で大切にしなければならない基本は変
わるものではありません。いかなる時も、誰に対しても、
自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の立場を尊
重し、物事に柔軟に対応できるよう心がけたいものです
ね。

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2024/02/11~20   満てる

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

私事ですが、高知県に移り住んで十七年目を迎えること
になりました。縁もゆかりもない土地でしたので、当初
は分からないことばかりでした。とりわけ、土地の古老
が話す土佐弁には随分悩まされました。幸いなことに齢
九十八を迎えた師匠は生粋の土佐人ですので、分からな
い言葉に出会う度に意味を教わり、今ではすっかり土佐
弁にも馴染みました。

そんな土佐弁に『みてる』という言葉があります。中国
地方では物が無くなるという意味で使われるそうなので
すが、土佐弁では主に、人が亡くなる、命が尽きるとい
う意味で使います。お寺にいますと、お檀家さんとの会
話で「〇〇がみてて何年なので法事を」とか「〇〇がみ
てたのでお葬式を」などと、日常的に使われる言葉です。

何気なく耳にし、口にしていたこの「みてる」という言
葉ですが、昨年、新聞を読んでいて、『みてる』は【満
足の「満」に「てる」と送り仮名をつけて】『満てる』
と書くのだと初めて知りました。亡くなった方が寿命を
全うした、満ち足りた人生であったというのが語源なの
だそうです。

私がこの法話の原稿を書いているのは、令和六年一月二
十日です。元日に発災した能登半島地震で被害に遭われ
た皆さまにお見舞い申し上げますとともに、お亡くなり
になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

今年は、新型コロナが5類に移行して初めてのお正月で
した。御家族や親戚との久方ぶりの再会と団らんの最中
であったであろうにと思うと、本当に胸が痛みます。今
日午後2時の時点で犠牲者は232名との報道がありま
した。突然の災害で命を奪われたお一人お一人は『満て
た』といえるでしょうか? 満ち足りた人生であったの
でしょうか?命を全うしたと言えるでしょうか?そんな
はずはありませんね。到底納得できるわけがありません。

ところが、土佐弁では老若男女、その死因に関わらず、
人が亡くなれば『満てる』です。なぜ『満てる』なので
しょうか?

その答えは十人いれば十人の答えがあり、正解は無いの
かもしれません。それでもあえて、答えを出すとするな
らば…「満てるとは、亡くなった人が満ち足りたと満足
することではなく、見送る人が満たしてくれたと故人に
感謝することを満てるというのだ」と、私は思うのです。
そしてその「満てる」の感謝を、亡くなった人だけでは
なく、自分と関わる全ての人にも向け続け、『ありがと
う』と感謝する日々の先、長い眠りにつく瞬間にも『あ
りがとう』と思えたならば、送る人と送られる人が互い
に「満てる」と言える別れの日が来るのではないでしょ
うか。

いつ何時、何が起こるか分からないのがお互いの人生で
す。今日の一日、このひとときを丁寧に丁寧に、ありが
とうの言葉と共にすごしてまいりましょう。

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2024/01/21~31   手のぬくもりに

講師:香川県 祥福寺 本山良宗師

一年を二十四の季節に分けた二十四節季では、今月二十
日から大寒とよばれる節季に入りました。大寒は各地で
大雪が降ったり一年の最低気温が記録されたりと、一年
でいちばん寒さが厳しくなる時季です。

私はこの時季になるとなぜか決まって「手袋を買いに」
というお話を思い出します。手袋を買いに?はて、どこ
かで聞いたことがあるような…と思った方もおられるの
ではないでしょうか?昭和二十九年から六十年近く、小
学三年生の国語の教科書に掲載されていたこともある、
新美南吉という方が書いた童話で、寒い冬の夜、手袋を
買いに人間の町に行く子狐と、子狐だけで行かせた母狐
の心情が描かれています。

このお話の冒頭、新美南吉は子を思う母親の愛情を、と
ても細やかな描写で表現しています。それは、初めて雪
を見た子狐が雪遊びに興じすぎて、すっかりかじかんで
しまった手を、母狐がやさしくあたためてあげるという
シーンです。 

その部分を読んでみます『子狐は、「お母ちゃん、お手
々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡れて
牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。
母さん狐は、その手に、はーっと息をふっかけて、ぬく
とい母さんの手でやんわり包んでやりながら、「もうす
ぐ暖くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」
といいました』

いかがでしょうか。ほんの数行ですが、母親の気持ちが
じんわりと伝わってきます。雪遊びをした子どもの手は
どんなに冷たかったことでしょう。その冷たい手を迷う
ことなく自分の手にとり、やさしく包み込んで、温かい
息をはーっと吹きかけてあげる。読んでいるだけでその
情景が目に浮かんできて、自分の手まで温かくなるよう
な気がする素敵な文章です。

幼いころお母さんやお父さん、お婆ちゃんやお爺ちゃん
と手をつないで歩いたこと。あるいは大切な人と手と手
を重ねたこと。そんな思い出をお持ちではないでしょう
か?あの手のぬくもりをもう一度と思っても、「もうと
っくに亡くなっていて、ふれたくても、ふれてみようが
ない」という人もいることでしょう。

そのぬくもりを思い出したいときは、亡き人を偲んで静
かに目を閉じ、そっと手を合わせ、しばらくそのままで
いてみてください。そうやっていると、合わせた手のぬ
くもりの中に、亡き人の手のぬくもりがよみがえってく
るような、おだやかな気持ちになれると思うのです。静
かに手を合わせるというのは、それだけで、手のぬくも
りだけでなく、心の温かさまで思い出すことが出来る大
切な時間なのですね。

もし、一緒に外歩きをするような小さいお子さんやお孫
さんがいらっしゃるようであれば、手のぬくもりが伝わ
るようにやさしく握ってあげてください。小さな手がか
じかんでいるときは、やさしく包んで、はーッと温かい
息を吹きかけてあげてください。その感触、そのぬくも
りは大切な思い出となって、お子さんやお孫さんの心に
いつまでも残るはずです。

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2024/01/11~20   鷺鶿(ろじ)雪に立つ

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

皆さんは大愚良寛という名のお坊さんをご存じでしょう
か?江戸時代を代表する禅僧で、親しみを込めて良寛さ
んと呼ばれる方です。良寛さんは若いころ、備中玉島、
現在の岡山県倉敷市にある円通寺という曹洞宗の修行道
場で坐禅三昧と托鉢の修行を二十年ほど続けた後、諸国
を巡って、晩年は越後国蒲原郡、現在の新潟県燕市の五
合庵という小さな庵に移り住み、生涯を仏道の修行者と
して慈悲行を貫かれた曹洞宗の僧侶です。

曹洞宗には良寛さまと題した御詠歌があります。その御
詠歌に「霞立つながき春日をこどもらと手まりつきつつ
この日暮らしつ」という一節があり、暖かな春の日に子
供たちと毬をつきながら一日を過ごす良寛さんの慈愛に
みちた情景が詠われています。

良寛さんはまた、詩人、歌人、とりわけ書家としても高
名な方で、その書風は一見つたなく、まるで素人が書い
たように感じられる、単純な細い線で書かれています。
しかしながら、そこには何ものにも囚われない自由さ、
おおらかさがあると言われ、現在でも多くのファンの心
を引き付けています。

何年か前、書道の先生に「私にも良寛さんのような字は
書けますか」とたずねたことがあります。すると先生は、
「良寛さんは、実は行書も草書も楷書もすべて練習して、
行き着いた先があの文字です。普通なら、良寛さんのよ
うな立派な僧侶には近づきがたいものですが、良寛さん
にはそういうところが全くなかったのでしょう。だから
こそ、大人のみならず年端もいかぬ子供たちにも愛され
て、一緒に毬つきをして遊んだりもできた。子どもは字
が、下手とか上手とか、字が曲がろうか、間違っていよ
うが、全く問題にしません。形や運筆が行き届かないと
ころがあっても、自分を正直に表します。良寛さんはそ
んな子どもたちの姿に心を打たれ、子どものように真率
な書を書こうとした。良寛さんの書はその素朴さと素直
さが表れた文字なのです」と話されました。

大本山總持寺をお開きになりました瑩山禅師さまは、禅
の心を『鷺鶿(ろじ)雪に立つ 同色(どうしょく)に
あらず』というお言葉で示されました。鷺鶿とは白鷺の
ことです。「雪の大地に降り立った真っ白な白鷺は、雪
の白を邪魔せず、そこに溶け込みながらも、白鷺として
の命を存分に謳歌している」と説かれたのです。白鷺は
周囲に溶け込んでいるのに、同時に、自分らしさも存分
に発揮している。相手の心も、自分の心も殺さない。禅
の生き方とは調和の心だと諭されました。

コロナ禍移行、レジハラというかカスハラという言葉を
よく聞くようになりました。レジハラとは、レジで店員
さんに大声で怒鳴ったりする振る舞い。カスハラとは企
業に理不尽なクレームをつけたりする行いのことをいう
のだそうです。私たちは、人によく見られたい、金も欲
しい、地位も欲しいと、やむことのない欲望に翻弄され
がちです。そしてそれが自分の思い通りにならない時、
その不満を誰かにぶつけようとします。コロナ禍のスト
レスで知らず知らずのうちにギスギスした心が蔓延した
結果が、レジハラやカスハラに顕れたといえるのかもし
れません。

良寛さんの書にファンが多いのは、その書を通して『鷺
鶿(ろじ)雪に立つ 同色(どうしょく)にあらず』と
いう、お互いを認め合う心をもつこと、思いやる心をも
つことが大切なのだ。禅の生き方、調和の心が大切なの
だと無言のうちに教えてくれているからではなのではな
いでしょうか。

『鷺鶿(ろじ)雪に立つ』の教えを心に刻んで、新しい
一年を歩んでまいりましょう。

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2023/12/21~31   願い事の前に

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹 師

12月8日はお釈迦さまがお悟りに成られた日、成道会
です。この日に因み、私たちの町の仏教会では、我々の
曹洞宗だけでなく時宗や浄土真宗、華厳宗の和尚様方も
共に協力して「歳末助け合い托鉢」を修行致します。

宗派を越えて多くの和尚さんが集まると、托鉢の衣姿や
托鉢の方法、お唱えするお経も違います。宗旨も違えば
ご本尊も違います。けれども、私たちは、皆様から集め
られた浄財を生活の困っている方々や自然災害で被災さ
れた方々に届けたいという同じ思いをもって、駅前や商
店街を廻って托鉢をするのです。

この歳末助け合い托鉢の時期が来ると、私には必ず思い
出す言葉があります。それは、大学生の頃に出会ったあ
る海外の留学生の言葉です。彼は「日本の宗教はとても
素敵だね。日本の仏教には多くの宗派があり、神道やキ
リスト教を含め様々な宗教があるけれども、それぞれが
争う事がないのは素敵だよね」と、私に話してくれまし
た。

30年程前に耳にした時には「ふーん、そうなんだ」と
答えるくらいで、とりたてて深く考えることはありませ
んでした。しかし、ウクライナとロシア、イスラエルと
ガザの悲惨な報道を目にするたび、耳にするたびに、平
和な日々が過ごせているのは、とても有り難い事なのだ
と気づかされます。

宗派を越えて、宗教を越えて、誰しもが心から願うのは
平和な日常です。お釈迦さまがお悟りになられた「成道
会」の日に、無事に托鉢が出来ることを心から感謝して
今年も托鉢修行を終えることができました。

年の瀬もいよいよ押し迫りました。大晦日には除夜の鐘
を撞きにお寺に参られる方もおられることでしょう。神
社に初詣に向かわれる方もおられることでしょう。それ
ぞれにお願いごとをされるのでしょうけれど、私からひ
とつお願いがあります。それは何かというと、どうかご
自分の願い事の前に、世界が平和でありますように、み
んなが笑顔でいられますようにと、お祈りしていただき
たいのです。来る年が穏やかな一年となりますように。

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2023/12/11~20   愛語 ~思いやる心~

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

「早く勉強しなさい」という言葉、お子さんのいる家庭
では合言葉のようになっているのではないでしょうか?
かく申す私もその一人です。息子が小学校一年生のとき、
国語の宿題がでているのに、いつまでもとりかかろうと
しないのを見てつい、「早くしなさい」と言ってしまい
ました。
彼は、私の言葉を聞いてしぶしぶ鉛筆を手に取って宿題
にとりかかったのですが、すぐに手遊びが始まりました。
私が再び「遊ぶのは後にして、先に宿題をやってしまい
なさい」と言うと、ゆっくりゆっくりと文字を書き始め
ましたので、やれやれと一息ついたのもつかの間、すぐ
にまた手遊びが始まってしまいました。
仕方がないので、消しゴムと鉛筆を机の上で戦わせてい
る姿を眺めていると、ようやく決着がついたようでした。
「で、どっちが勝ったの?」と尋ねると、彼は「消しゴ
ム。この前は鉛筆が勝ったから、今日は消しゴム」と、
答えました。「でもね、お父さん。最後には筆箱に帰っ
て仲良くするんだよ」と筆箱にしまいます。
いやいや、まだ勉強は終わってないだろと思いましたが、
そのときふと、私もよく親に宿題しなさいと言われ、同
じように消しゴムと鉛筆が戦っていたことを思い出しま
した。
私たちの世界は大人だけのものではありません。大人が
ルールを決め、そのルールを子どもたちも自然も社会も
共有しながら生活しています。しかし、子どもには子ど
もの視点があり、自然には自然の視点、社会には社会の
視点が存在します。私は自分の子どものころを思い出し
ながら、親が子どもに「早く勉強しなさい」と掛ける言
葉は、子どものためではなく、早く宿題を終わらせるこ
とで自分が解放されたいという、自分のための言葉だっ
たのではないか?と気づかされた瞬間でした。
私は、子どもの筆箱からそっと鉛筆と消しゴムを取り出
し「お父さんと一緒に宿題しよう」と、にこやかに語り
かけました。すると彼からは「うん!」と、元気のよい
答えが返ってきました。宿題がさくさくと進んだことは
申すまでもありません。
言葉は相手を励まし、心を軽やかにすることも出来ます
が、反対に深く相手を傷つけてしまうこともあります。
永平寺を開かれました道元禅師さまは、「正法眼蔵 菩
提薩埵四摂法」の中で「愛語は愛心よりおこる、愛心は
慈心を種子とせり」と説かれています。心のこもった言
葉をかけるには、まず自分が慈愛に満ちた心を持つこと
が必要であり、相手の成長と幸福を願って言葉をかける
ことが大切なのだとお示しです。
相手の立場に立って寄り添う心を養うこと。それが出来
た時、相手の心を思いやる言葉は相手だけではなく、自
分自身の生き方をも変えてくれるものなのではないでし
ょうか。
年の瀬を迎え、何かと慌ただしくなる時期です。こんな
ときこそ「愛語」。相手を思いやる心と言葉を失わない
よう気を付けて過ごしていきたいものですね。

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2023/11/21~30   解き放たれる~行雲流水~

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

先日NHKで、10月に亡くなられた谷村新司さんを偲
んで、昨年の暮れに放送された「ザ・ヒューマン~谷村
新司~」が追悼番組として再放送されていました。その
中で谷村さんがこんなエピソードを語っておられました。

2004年、中国最高峰の音楽大学、上海音楽学院から
「音楽の心を教えられるのはあなたしかいない。是非教
授に就任して戴きたい。」という依頼が舞い込んだそう
です。

その、上海音楽学院での初授業で谷村さんは、水を半分
入れたコップを見て詩を書いてもらうという授業をされ
ました。当時の学生たちは、古典音楽を学ぶばかりで作
詞は一度もしたことがなかったそうです。ほとんどの学
生が「コップの中に水が入っています」としか表現しな
い中で、ある二人の詩だけが違っていたというのです。
それは次のようなものでした。

一人は「コップが倒れて水がこぼれました。水は初めて
自由を知りました」。もう一人は「コップが倒れて水が
こぼれました。水は自分の形が分りませんでした」。コ
ップが倒れてこぼれた水が初めて自由を知る。自分には
形が無いことを知る。谷村新司さんはこの二つの詩の発
想の素晴らしさと表現力に鳥肌が立ったそうです。

そういえば以前、谷村さんは1980年に発表された、
ご自身の代表作ともいえる「昴」を回顧して、この詩で
最初に浮んだのは、最後の「さらば昴よ」という部分だ
ったとおっしゃってました。ご自分が作詞したにもかか
わらず、「なぜ、昴に別れを告げているのだろうか」と
いう疑問をずっと持ち続けておられたそうです。そして、
昴が発表されてから20年以上が過ぎた頃、「昴」とい
う星は、古代中国では「権力や財産の象徴」だったとい
うことを知ります。その時に初めて、「ああ、そうだっ
たのか。昴に別れを告げるのは、お金やモノ、物質的豊
かさを追い求めることに別れを告げよう、真の豊かさは
そこにはない。ということだったのか」と、気付かれた
のだそうです。

谷村新司さんの「昴」が国を越えて時を越えて、多くの
人に愛され続けているのは、その詞の中にご本人も気付
かないうちに、人間の身勝手な振る舞いを諫める大切な
教えが歌い込まれていたからなのですね。

このふたつのエピソードを考えるうちに、私の頭に「行
雲流水=こううんりゅうすい」という禅語が浮びました。
行雲流水、行く雲の如く流れる水の如し。空を行く雲は
立ちはだかる山を意に介すことなく通り過ぎ、流れる水
はきまった型を持たず、さえぎる岩を涼しい顔で通り過
ぎる。何事にもとらわれることのない心の大切さを教え
る言葉です。

止むことのない争いや環境破壊に明け暮れる私たち人間
の身勝手な振る舞い、それは全て昴という名の「モノ、
カネ、権威」という物差しにとらわれて、それに振り回
されているが故の行ないでありましょう。

谷村新司さんの「さらば昴よ」という歌声が聞こえてき
たら、谷村さんのメッセージとともに「行雲流水」とい
う言葉を思い出し、みずからの心と行いを振り返ってみ
てください。

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2023/11/11~20   地球は大きな宝船

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

「アフターコロナの中で各地の秋祭りが4年ぶりに復活」
というニュースが報じられていますが、年回忌のご法事
も以前のように少しずつ賑やかさが戻ってきました。

そんな折のご法事で、読経を始めようとしましたら、床
の間に掛けてある赤いTシャツが目にとまりました。あ
のTシャツはいったい何だろう?「和尚は読経中にキョ
ロキョロしたり、ほか事を考えたりしているのか?」と
言われそうですが、何しろ床の間に赤いTシャツが床の
間に掛けてあるのです。しかも、左胸あたりには縦書き
で大きく「還暦」と書かれ、真ん中には宝船に乗った七
福神のイラストがプリントされているのです。「ああそ
うか、奥さんが還暦だったんだな。」

読経が終わって、私は冗談交じりに「いや~、お経中ず
っとあの赤いTシャツが気になって気になって」と言う
と、みんながどっと笑いました。すると奥さんが「この
小さい孫たちが、『じいちゃんが死んで、ばあちゃんが
寂しがっとるから、僕らが祝ってあげる』言うて贈って
くれたんですよ」と、少し目に涙をにじませて答えてく
ださいました。

そこで私は、Tシャツにプリントされている七福神の話
をすることにしました。「大黒さまや弁天さま、そして
毘沙門天はインドのヒンドゥー教の神さま、中国の布袋
さんは仏教のお坊さん、寿老人と福禄寿は中国道教の神
さま。そして、恵比寿さんは大漁や五穀豊穣・商売繁盛
の神で、唯一日本の神さまです。永平寺を開かれた道元
禅師さまは『仏道修行する者は一つの舟に乗って海を渡
るようなものだ。それは、水と乳がとけ合うように、心
を一つにしないといけない。』とおっしゃっておられま
す。仏教が伝わってくるのと一緒に、一つの舟にいろん
な神さまが次から次へと乗り込んで来たんですね。」と
言うと、小学生の女の子が間髪入れずに「せまい舟に喧
嘩せんと乗っとるな。仲よしなことが大事なんやなぁ」
私が「ええ~?○○ちゃんに一番ええところ全部取られ
たわ~」と言うと、再びどっと笑い声が起きました。す
ると、ご親戚のどなたかが「今日は、この家が宝船みた
いなもんや。じいちゃんも一緒に乗っとるわ」と言うと、
さっきの女の子がキョロキョロしながら「どこ?どこ?」
またまたみんなで大笑いしました。奥さんもその笑顔の
輪の中で、涙がこぼれないようにひと際大きく目を開い
て笑っておられました。

私たちが棲むこの地球も宝船と同じように、山河大地・
様々な国と地域・人種や宗教・動物と植物の分け隔てな
く、無数の生命を載せて回り続けてくれています。争い
や環境破壊に明け暮れる私たち人間の身勝手な振る舞い
によって、地球という宝船は大きく傾いて、今まさに難
破寸前なのではないでしょうか。

日々の行ないや言動を、仏さまやお祖師さま方のみ教え
に照らし合わせ、この素晴らしい地球が宝船として回り
続けられるよう努めてまいりましょう。

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2023/10/21~31   喫茶喫飯

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

私たちはとかく、仕事をしながらお茶を飲んだり、会議
をしながらコーヒーを飲んだり、食事をしながら仕事の
ことを考えたり、家族や友人との会話に夢中になったり。
いわゆる、ながら仕事といわれる、何かをしながら他の
ことをしたり、他のことを考えたりしてしまうことがあ
ります。

北海道のお寺にいた頃、近くのお檀家檀さんの家に命日
のお参りに伺ったときのことです。このお檀家さんは、
お参りの後いつもコーヒーを出してくれる方でした。
その日も、お参りが終わると、いつものように「おっさ
ん(お寺さん)、ありがとう。今、コーヒー出すから」
と、私に声をかけながら台所に入っていかれました。私
は、次のお参りの予定があるものの、コーヒーをだして
いただくのはいつもことですし、そんなに時間も掛から
ないだろうと思い「ありがとうございます」と、笑顔で
応えて待っていました。

しかし、その日に限ってなぜかコーヒーが出てきません。
「どうしたのかな?」と思っていると、台所からなにや
らカリカリと音が聞こえてくるのです。「あれ?もしか
して豆を挽いているのか?」といぶかしんでいると、今
度は、コポコポとお湯が沸くような音がしてきました。
しかしそれでもなお、コーヒーは出てきません。

次のお宅のお参りの時間が気になりだして、何度か時計
を見返しながらも、ありがとうございますといった手前、
次の予定があるのでもう結構ですとも言えません。私は
「これはもう、待つしかないな」と腹をくくって、時計
を見るのをあきらめました。その間、およそ二十分ほど
だったでしょうか、ようやく良い匂いと共にコーヒーが
出てきました。

一口飲むといつものコーヒーと、味が格段に違うのです。
コーヒーってこんなに美味しかったのかと感動しながら
「いつもいただくコーヒーと、豆の種類とか、淹れ方と
か、変えたんですか?」と尋ねると、その方は不思議な
顔で「いや、いつもと同じですよ。いつもはお経の間に
用意するんですが、今日はすっかり忘れてしまって、急
いで豆を挽いて淹れたんです」と仰るのです。

コーヒーを美味しくいただき、次のお檀家さんに向かう
道すがら、私は「同じコーヒー豆、同じ淹れ方なのに、
味がまったく違うように感じたのは、いったいどういう
ことなのだろう?」と自問自答しました。そして「そう
か、あの日以前の自分は、出していただいたコーヒーを
味わうよりも、次の予定を気にして、きちんと味わって
いなかったんだ」と気が付くと同時に、自分がいかに目
の前の事柄に集中していなかったのかと反省させられる、
味わい深い一杯のコーヒーでした。

大本山總持寺の御開山瑩山禅師さまに、喫茶喫飯【きっ
さきっぱん=茶(さ)に逢(お)うては茶を喫(きっ)
し、飯(はん)に逢うては飯を喫す】というお言葉があ
ります。『お茶を出されたときにはお茶をいただき、ご
飯を出されたときにはご飯をいただく』禅の教えとは、
決して特別な人が特別なことをすることではなく、誰も
が毎日を過ごす中で、その時その時の一つ一つに心を尽
くして丁寧に取り組むことだと示されました。

ゆっくりお茶を味わう時間を無くしてはいませんか?余
計なことを考えながらご飯を食べたりしていませんか?
そしてもちろん、「喫茶喫飯」はお茶やご飯をいただく
ときだけに限ったことではありません。仕事をする時は
目の前の仕事に打ち込む、勉強する時は学ぶべきことに
集中する。掃除する時、料理する時、日常生活のあらゆ
る場面に当てはまることですね。

せっかくの人生です。そのものの良さを、そのものの広
がりを楽しむ時間を持つためにも、今、自分がなすべき
ことに集中する。日常の生活のひとつひとつを丁寧に取
り組むよう、心がけてみませんか。

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2023/09/21~30   禅的生活~学ぶはまねる

講師:徳島県 城満寺 田村航也師

禅宗といえば坐禅。禅寺の修行は明けても暮れても坐禅
ばかり・・と、思われがちですが、実は、生活のすべて
が修行であるというのが大切なところです。細かいとこ
ろまで厳格に定められている食事の作法や洗面の作法。
さらにはお風呂やお手洗いの作法に至るまでを、きちん
と身につけていくことが大事であると言われています。

なぜそんなに作法にこだわるのでしょうか?それは「お
釈迦さまのような生き方」というところに理由がありま
す。私が住職をしているお寺のご本尊さまはお釈迦さま
です。釈迦如来坐像と言って、坐禅の姿で坐っておられ
ます。お釈迦さまは坐禅の修行をされ、弟子たちにも坐
禅を勧めました。では、私たちがそのお釈迦さまを佛さ
まとして、本尊さまとして尊ぶのは坐禅をしているお釈
迦さまだけでしょうか?

そうではありませんね。お釈迦さまは、坐禅している時
ももちろん仏さまですが、立っていても坐っていても、
歩いていても横になっていても、いつであっても佛さま
です。ですから、お釈迦さまのように生きるには、坐禅
をしていない時もすべてお釈迦さまでなければならない
のです。そこで「禅宗の修行は坐禅だけでなく、生活の
すべてが修行」ということになってきます。

道元禅師さまも瑩山禅師さまも、禅寺生活の細かいとこ
ろまで、微に入り細に入り、懇切丁寧に教えておられま
す。本当の意味での親切です。それは、両禅師さまとも、
お釈迦さまのように生きたいと強く思っておられたから
です。

私は、道元禅師さまの、食事の作法を教える中のお言葉
が忘れられません。『お釈迦さまは食事の時に、お箸も
匙も使わず、手で食べておられた。だが、手で食べる作
法が伝わっていないので、仕方なくお箸と匙を使うのだ』
というお言葉です。道元禅師さまは、お釈迦さまの生活
すべてをまねることで、少しでもお釈迦さまの境地に近
づこうとお考えになったのですね。

「学ぶ」という言葉は一説に「まねる」→「まねぶ」→
「まなぶ」となったと言われております。皆さんも、日
々の生活の中で「これは素晴らしい、これは素敵だ」と
感じることに出会うことがおありだと思います。そんな
とき、それだけで終わらせるのではなく、ほんのわずか
なことだけでも真似をしてみてはいかがでしょうか?ど
んな小さなことでも、倦まずたゆまず積み重ねていくこ
とで、「これは素晴らしい、これは素敵だ」と感じたこ
とに近づくことが出来るはずです。

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2023/08/21~31   自分の行いを顧みる

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹師

私が身につけたい習慣の一つに片付けがあります。実
は私、檀家さんや近所の方が目にするところの片付け
はきちんとできるのですが、自分の部屋などのプライ
ベートな場所の片付けが苦手です。

自分の部屋を片付ける時は、物を三つに分けるように
します。大切な物、まだ使える物、処分する物です。
まだ使える物は押し入れの奥や車庫などに押し込んで
いたのですが、先日ついに押し入れや車庫もいっぱい
になってしまいました。今までは処分すべきものは処
分して、残りは何処かに押し込んで、部屋の掃除を終
えていたのですが、ついに押し込む場所もなくなって
しまったのです。

そこで、妻の提案で、本や着なくなった服など、不用
なものを車いっぱいに詰め込んで、リサイクルショッ
プに持ち込みました。すべての物を買取査定してもら
い、値段がつかない物も全部引き取ってもらいました。

リサイクルショップからの帰路、私は妻に「リサイク
ルショップも遠かったし、町内のクリーンセンターで
全部処分してもらった方が良かったかな?」と言いま
した。すると妻は「私はそんなことないと思うけどね。
まだ使える物を捨てることのほうが嫌だし、今日引き
取ってもらった物は、また誰かが使ってくれるんだか
ら。」その言葉を聞いて私は、買取価格の低いことを
ずうっと気にしていた自分が恥ずかしくなりました。

道元禅師の教えの中に『脚下照顧』という言葉があり
ます。自分の足元を顧みて照らす。自分の行為を見つ
めなおして物事を行いなさいという意味です。自分の
損得ばかりを考えていると、自分の行為を顧みること
を忘れがちになります。

今回の一件では「物に溢れている時代とはいえ、物を
捨てるのは簡単ではない」ということに気づかされま
した。そしてもうひとつ気づかされたのは「物を買う
ときには、本当に必要なものなのかどうかを吟味して
物を買い、それが不要になったときには安易に捨てる
のではなく、それを使ってくれる人はいないか?それ
を他に利用する手立てはないか?と、もう一度自分の
行いを顧みなければ、本当に使い切ったとは言えない」
ということです。

それぞれの行動を起こすときにはまず『脚下照顧』。
自分を見つめなおしてみることが大切ですね。

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2023/08/11~20   不殺生戒

講師:愛媛県 宗光寺 岡 芳樹師

私の長男はこの夏で四歳になります。蝉やバッタ、トン
ボ、メダカやイモリなど、いろんな生き物に触れること
が大好きで、夕方まで近所で虫捕りやサワガニ捕りをし
ています。幼稚園から帰るとすぐに私のところに来て虫
を捕りに行こうと言います。

幼児期に草花や小さな生き物に触れるという体験は、豊
かな感受性の発達をうながすといわれているそうですか
ら、なるべく長男の求めに応じるようにしているのです
が・・・。実は私、子供の頃に多くのカブトムシを捕ま
えて飼ってはみたものの、世話をしなかったせいでそれ
らのカブトムシを死なせてしまったという苦い経験があ
ります。

虫捕りをすると、どうしてもそのときのことが頭をよぎ
って、虫捕りで捕まえた虫たちにとっては、ひと夏の間
しか生きられない短い命なのに、それを無機質な虫かご
の中にとじこめて過ごさせるのということに、なんとも
いえない抵抗感を抱いてしまうのです。

仏の道を歩む上で最も基本的な教えに「不殺生戒」とい
う戒律があります。『むやみに生きとし生ける物の命を
そこなわず』という、自分の命はもちろんの事、自分以
外のあらゆる命あらゆる物を大切にせよという教えです。

私は、その教えを四歳の子どもにも分かりやすいように
伝えたうえで、飼い方のルールを決めてから虫捕りやサ
ワガニ捕りをすることにしました。そのルールとは、
一、トンボなどのように長生きしない昆虫はその日のう
  ちに逃がすこと
一、魚のように生きる為の十分な環境を整えられない生
  き物はその日のうちに逃がすこと
一、イモリやサワガニも家族がいるはずだから二泊三日
  でいったん帰省させてあげること
以上の三つの約束です。
この虫捕りのルールを決めたことで私の気持ちも軽くな
り、一緒に虫捕りを楽しめるようになりました。捕まえ
た昆虫やサワガニ、イモリなども二泊三日の夕方には、
「ありがとうね。また遊ぼうね」って言ってお寺の庭や
近くの水路に逃がしてあげます。
 
生活の中に「不殺生戒」というひとつの戒律をとりいれ
ることで、私が嫌だった虫捕りも長男と一緒に心から楽
しめるようになりました。戒律を守るということは、自
分の生活を縛るためのものではなく、よりよく充実した
生活をさせてくれるものでもあるのですね。

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2023/07/21~31   許す心 思いやる心

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師
 
いつもニコニコと和やかなお顔と柔らかなトーンでお話
しくださる方がいらっしゃいます。ここでは佐藤さんと
いたしましょうか。ご一緒にお話しをしていると、私の
心もとても穏やかにしていただける佐藤さん。

ある日、そんな佐藤さんからお話しいただいた内容に、
私は大変な衝撃を受けることになりました。それは数十
年も前に、佐藤さんご自身の子供さんが大変な事件に巻
き込まれ、そのことで佐藤さんは長年に亘り苦しんでこ
られた、そういったお話でした。

ある事件に巻き込まれた佐藤さんの子供さんは、なんと
犯人の手にかかり命を落とされてしまったそうです。大
切にしていた我が子を手にかけた犯人は、すぐに逮捕さ
れましたが、その犯人に対する佐藤さんの怒り憎しみは
相当なもので、「殺してやりたい!」と思うほどだった
そうです。

そして、その思いは、いつまでたっても消えることなく
月日が流れ、ふと気付くと身も心もボロボロになってい
る自分がそこにあったそうです。

佐藤さんが臨んだ、ある日の裁判でのことでした。出廷
してきた犯人の横顔はゲッソリとやつれており、今おか
れている状況に大変苦しんでいるように感じられたそう
です。その時佐藤さんは、「今まで犯人のことが、どう
しようもなく憎くて憎くて、なぜこんな苦しみを味合わ
されないといけないのかと恨みの中で生きてきた。けれ
ども、ああ、この人も、自分自信が犯してしまった罪に
よって、長年に亘って苦しんできたんだな」そんな思い
がよぎった時、ふと心の中で「もう、許そう」そう思っ
たのだそうです。

佐藤さんは犯人に対して「あなたは、私達の最愛の我が
子を手にかけるという、到底許すことなどできない罪を
犯した。しかし今、あなたの姿を見たときに、あなたは
あなたなりに自分が犯してしまった罪の重さにずっと苦
しんできたことが感じ取れた。そう感じた時に、きっと
我が子も、私達がいつまでも怒りや憎しみだけの人生を
送り続けることを臨んではいないだろうと思った。犯し
た罪は重いけれども、私はあなたを許します。これから
は、身体をいたわりながら、罪を償っていって欲しい」
そう言われたそうです。

それを聞いた犯人は、大粒の涙を流しながら佐藤さんに
対して頭を下げたということでした。

佐藤さんは話されます。「そのときまで私は、犯人に対
する怒りで我を忘れていたのだと思う。今思えば、犯人
を恨んだり憎んだりするのは精神的にも肉体的にも本当
に苦しかった。犯人を許そうと思った時に、その苦しみ
から解放されて、怒りと憎しみと共に、あの事件で時間
が止まっていた自分自身の心が、やっと前を向いて歩き
だせた。罪を犯したその犯人を許すことで、犯人の心も、
そして自分自身の心も救われたように思える」と。

大本山總持寺御開山瑩山禅師さまは『たとい難値難遇の
事有るも、必ず和合和睦の思いを生ずべし』と御示しに
なられ、人々の悲しみも苦悩も我が事のように受け止め
相和して生きる『同事』の教えをお説きになられました。

佐藤さんは自分自身大変な苦悩の中にありながらも、恨
み憎んでいた犯人の苦悩を感じとり、犯人の体をいたわ
る慈悲の心を向けられました。佐藤さんのとられた行動
は、まさに瑩山禅師様の『同事』の教えそのものだった
ように感じます。その慈悲の心は、今まで佐藤さんの心
の内にありながらも恨み憎しみが邪魔をして見えなくな
っていた『子供さんが佐藤さんの幸せを願う心』を照ら
し出し、犯人も佐藤さん自身も、そしてきっと子供さん
の心をも救ったのではないでしょうか。

それから数十年。佐藤さんは人と接する時、まずは相手
の立場に立ち、喜び・悲しみ・苦しみを我が事のように
受け止めながら相和して生きる『同事』を実践し続けて
こられたに違いありません。だからこそ声を荒げること
なく、いつもニコニコと和やかなお顔と柔らかな口調で
人と接することができるのだろうと思います。一朝一夕
に佐藤さんのようになることはできないでしょう。けれ
ども、『同事』の思いを心に持ち続けることはこの私に
も、そしてあなたにも出来るはずです。『同事』の思い
を心に持ち続け、やがて自然に行動に移せるよう、共々
に日々心がけてまいりましょう。

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2023/07/11~20   一期一会

講師:愛媛県 宗安寺 能仁洋一師

午前6時に大梵鐘を鳴らし、その後、朝のおつとめをす
るのが日課になっています。昔は師匠である父が毎日や
っておりましたが、その父も昨年夏に85歳で遷化いた
しました。

父が最期を過ごしたのはショートステイ先の施設でした。
食が大変細くなり点滴の必要が出たため、介護タクシー
を頼んで二日おきにかかりつけの病院へ一緒に行き、施
設へと連れ帰る。そんな生活を一週間ほど続けました。

その日は金曜日、土日は病院が休診ということもあり、
「三日後の月曜日にまた迎えに来るけんね」と父に話し、
父の乗った車いすをスタッフさんに引き渡し、いつもの
ように父がエレベーターの扉の向こうに見えなくなるま
で見送っておりました。スタッフさんは仕事が忙しかっ
たのか、いつもなら私が立っている玄関が見えるように
方向転換をしてエレベーターに入っていくのに、その日
に限って方向転換をすることもなくそのままエレベータ
ーに乗り込み、父の後ろ姿が扉の向こうに消えていきま
した。何とも寂しい気持ちになりながらも『また三日後
に会えるから』と自分に言い聞かせ帰路につきました。
その二日後、父は旅立ちました。

病院の救急治療室で冷たくなった父に会い、あの日お互
い顔を見ながら送ってあげられなかったことの後悔と悲
しさが一気に胸に押し寄せてきました。会うたびに力が
衰え行く父を見ながら、いつ別れが来てもおかしくない
と、ほんのわずかな時間も無駄にはしないようにと大切
にしてきたのに、あの日、顔を合わせて見送ることが出
来なかった。そのことが、ただただ悔やまれて仕方がな
いのでした。

禅語に『一期一会』という言葉があります。これは『そ
の人と出会うこの瞬間は、一生にたった一度きりの、二
度と戻ることのない大切な時間なのですよ』という教え
です。

私は父の最期に接し、掛け替えのない大切な時間を共に
過ごしてまいりました。食事やお風呂、トイレや移動と
いった介護の数々。その当時はしんどいと思うこともあ
りましたが、振り返ってみますと、どれもが尊く有り難
い時間でした。しかし、『また三日後に会えるから』と
自分に言い聞かせながらも、父の背中しか見ることが出
来なかったあの瞬間。あの日あの時あの場所に戻って父
の顔を見たいと思っても、それは叶わぬことです。「あ
あ、この世は本当に無常なのだな」と思い、「必ず次が
あると思ってはいけない。今というこの瞬間は、二度と
は戻らない大切な時間なのだ」と再認識させられた父と
の別れでした。

家族と過ごす、友と過ごす、職場の同僚と過ごす、そん
ないつもと変わらない日常の時間。隣にいて過ごせるこ
ともあるでしょうし、遠方にいて電話越し、メール越し、
手紙越しで、お互いの思いを共有しながら過ごすことも
あるかと思います。距離がどれだけあろうとなかろうと、
相手を大切に思いやりながら過ごした時間は、お互いの
心と心が触れ合える、とても尊くかけがえのない大切な
時間です。

私たちの目の前に広がっている世界は、すべてが一期一
会の時間の連続でできています。そのことに気づき、目
の前のその時間を大切に過ごしていけるよう、共々に心
がけてまいりましょう。

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2023/06/21~30   思いやり

講師 高知県 予岳寺 濱田道圓師

外国語に訳せない日本語というのがよく話題になります。
その一つに「すみません」の言葉があるそうです。

以前新聞に、浄土真宗の僧侶の方が出された本の一部が
掲載されておりました。そこには…私達日本人は「すみ
ません」を普段自然に多用しているので、海外に行った
日本人は「I’m sorry.」つまり「ごめんなさい」を連発
するそうです。その為、海外の方は、日本人はなぜそん
なに謝ってばかりなのかと、不思議に思うそうです。

その僧侶の方が仰るには、日本人が使う「すみません」
には時に応じて『謝罪』『感謝』『依頼』の意味合いが
あるとのこと。『謝罪』の「すみません」には、自らの
過ちを悔い、申し訳ないという気持ち。『感謝』の「す
みません」には、頂いたものや気持ちに十分なお礼が出
来ず申し訳ないという気持ち。『依頼』の「すみません」
には相手に何かしらの負担を掛けて申し訳ないという気
持ちが、それぞれ込められているのだそうです。

「すみません」は漢字で表しますと、サンズイに斉と書
く「済みません」が一般的です。自分の気持が収まらな
い、仕舞いがつかないという意味でしょう。他には、サ
ンズイに登るという漢字を用いて「澄みません」と書く
こともあるようです。これは、心中穏やかでなく、わだ
かまりのある状態ということでしょうか。

こうして見ると「すみません」の言葉には、どこからと
もなく込み上げてくる、相手を思いやる気持ちや、相手
への気遣いを感じますね。

この「すみません」という言葉には、相手への思いやり
が詰まっているのだと気付いたときに、私は道元禅師様
の『報謝を求めず唯単に利行に催おさるるなり』という
お言葉を思い出しました。「自分の損得を考えず、周り
の為に動きなさい」というお示しです。

自分の子どもや親戚の子どもがまだ小さかった頃のこと
を思い出してみてください。ヨチヨチ歩きの子どもが何
か転んだりすると「だいじょうぶ?」と、思わず腰を浮
かせ、声をかけたりしなかったでしょうか?2・3歳に
なって外遊びをするようになり、公園でかけっこをして
いた子どもが勢いよく転んだりしたら慌てて駆け寄って
怪我をしていないかと確かめたりしなかったでしょうか?

それと同じように、困っている人を見かけたら考える前
に「大丈夫ですか?」とひと声かける。倒れている人が
いれば駆け寄る。私は、この行動こそが道元禅師様の示
された生き方だと思うのです。ごく自然に、当たり前に
心配ができ、気遣いのできる思いやりと行動力を日々、
心がけてまいりましょう。

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2023/06/11~20   ええこと聞いたわぁ

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

聞く耳を持たないという言葉があります。相手の言うこ
とを聞く気がない、相手の言うことを聞かない、という
意味ですが、先日この言葉を改めて考え直すことがあり
ました。

木村祐一さんという方をご存知でしょうか?キム兄いと
も呼ばれる吉本興業所属のタレントさんで、NHKのテ
レビ番組『チコちゃんに叱られる!』でチコちゃんの声
を担当している人といえば、ああ、あの人かと思い当た
る方もおられるかもしれません。この木村さん、レシピ
本を出される程料理に精通されていて、料理愛好家とも
自称されているそうです。

先日、この木村さんがパーソナリティをつとめているラ
ジオ番組を聞いておりましたら、ある料理人の方をゲス
トにお迎えしていました。冒頭でゲストの方が、パスタ
料理のコツをほんの少し、ほんの数秒仰ったのですが、
すかさず木村さんは「そうなんですねぇ。ええこと聞い
たわぁ。」と漏らしたのです。

料理人と料理愛好家、料理という共通項があるにせよ、
ほんのちょっとした言葉も聞き逃さず、すかさず自分の
中に取り込もうとする木村さんの姿勢がラジオ越しに伝
わってきました。そのやりとりに感心しながら、反省し
たことがあります。

それは・・・自分は四十にして惑わずといわれる年を5
年も越えて、それなりの経験を積んできたと多少の自負
をしているが、その自負に慢心して、自分の経験を基準
にしたものの見方だけで、人と接してはいなかったか?
ということです。

道元禅師さまは「ただ我が身をも心をも放ち忘れて、仏
の家に投げ入れて、仏のかたより行われて~」というお
示しを遺されております。木村さんの「ええこと聞いた」
というひと言は、相手を尊重し、相手の話をよく聞こう
という木村さんの心がけがあればこそのひと言に違いあ
りません。

自分の考え方や、自分のやり方を前面に出すと、その感
情が邪魔をして、素直に自分の心に残したり、肝に銘じ
ることは出来なくなってしまいます。

自分の目の前にある、得難い知識や、教えを、自分の意
にそぐわないと見過ごすのは勿体無いことです。話をす
る側にしても、自分の話に真剣に耳を傾けてくれている
と思えば、その時間が心地良く感じられるはずです。

人と会うとき、人の話を聞くときには、自分の経験や感
情という壁を取り払って、真っさらな聞く耳、真っさら
な心の部屋を用意して臨むよう心掛けたいものですね。

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2023/05/21~31   今なすべきことを

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

ある日の日曜坐禅会でのことです。坐禅の時間が終わり
茶話会に移ったとき、新しい参加者から、「坐禅中、い
ろんな思いが次から次へと浮んでくるのですが、皆さん
はどうしているんですか?」という質問がありました。

私がお茶を淹れながら少し間をとっていると「私も同じ
です。気にせず坐っています。」とか、「そやなぁ、調
子がええ時とそうでないときがあるなあ」とか、色々な
答えが出てきました。

それを受けて私が口を開こうとしたとき、それまで私と
同じように様子を見守っていたYさんが、「母親が入院
していたときに…」と話し出したのです。Yさんは坐禅
を始めて20年以上になる方です。その話はこうでした。

数年前、私(Yさん)は90歳になる母が急に体調を崩して
入院し、ふた月ほど坐禅会を休みました。いや、休んだ
というより、坐禅どころではなくなっていました。それ
は、母が退院したら家で介護をするのか?スロープや手
摺りなど家のリフォームをどうしようか?いやいや、施
設に入れてもらおうか?そもそも、その施設に空きはあ
るのか?等々いろんなことで思い悩んでのことです。
そして、いよいよ来週には退院という日の朝、目が覚め
た瞬間「あっ!今日は日曜日だ。久しぶりに南隆寺で坐
ってこよう」と思ったんです。そう思っただけで、なぜ
か少し心が軽くなりました。しかし、坐禅会で坐禅を組
んでみてもやはり同じでした。母の退院後のことで頭の
中は堂々めぐりです。
そんな時ふと、母の優しく笑う顔が浮んできました。そ
の瞬間、色々思い悩んでも仕方がない。今日は病院へ行
ってかあさんの顔でも見てこようと思い立ちました。す
ると、心のもやもやがスーッと晴れてすがすがしく坐れ
ました。
坐禅会が終わってその足で病院へ行くと、母はちょうど
朝食中でした。食べづらそうにしていたので、あれやこ
れやと手伝いながら食事を終えたときに、母は呂律が回
らないことばで「すまんなあ、ありがとう。あんたも忙
しいんやから、早よう帰りな」と息子の私を気遣ってく
れました。
そうこうしていると、日曜日だったにもかかわらず、な
ぜか主治医の先生が病室を覗いてくださって、私を見る
と先生は「ああYさん、今朝は早くから来られたんです
ねぇ。ちょうどよかったです。実は昨日、施設から連絡
があって、空きが一つ出来たそうですよ。」と言って、
次に母の方を向いて「Yさぁん、どうされますかぁ?い
れてもらいますかぁ?」と言うと、母は大きく頷いてく
れました。母に申し訳ないと思いながらも、私は本当に
胸をなで下ろしました…。

そのように話して、Yさんは最後に「手を組み、足を組
んで、仏さまと同じ形になった身体にやどる心からは、
間違った思いは生まれないのだと思います。」と付け加
えました。

自分ではどうしようもないことで悩んでもしょうがない、
取りあえず坐ってみよう、取りあえず母の顔を見てこよ
う。そのときできることをやればよい。Yさんは坐禅を
していてそう悟ったのだと思います。

お釈迦さまは『過去を追うな。未来を願うな。過去はす
でに捨てられた。そして未来はまだやって来ない。ただ
今日なすべきことを熱心になせ』とお示しになられてい
ます。過ぎ去ったことをクヨクヨ悔やまず、まだ来ない
先のことで取越し苦労をせず、今できることをせよとの
お諭しです。

禅の教えの根本は、姿勢を調え、呼吸を調え、心を調え
ることです。せめて一日に一度、ほんの数分でも心を調
える時間をもち、「いまここ、今日一日」を丁寧に過ご
すことを心がけてまいりましょう。

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2023/05/11~20   布施の心を忘れずに

講師:香川県 南隆寺 大石光昭師

昭和60年夏、私が新居浜にある瑞應寺専門僧堂で修行中
のときのことです。当時の修行僧は折にふれて、楢崎富子
先生からお茶の手ほどきをいただいておりました。

梅雨直後のある暑い日の昼下がり、お茶室の前を通ると先
生が炎天下でゴザを広げ、汗だくになって炉の灰を仕立て
ておられました。私の顔を見ると先生は、番茶や丁子の煮
汁で「しめし灰」をつくることや、土用の暑いときにこそ
する作業だということなど、事細かくお教えくだいました。
そして最後に、「雲衲(修行僧)さんも檀務(ご法事など)に
行かれたら、『このお花は、おうちの方が丹精込めて活け
たものだとか、このお菓子は町の和菓子屋さんまで行って
吟味してくださったんだ』とか思わにゃいけんよ。お経読
んで、お茶飲んで、“ハイさよなら”じゃないんよ。人を
お迎えするということは、人知れず、いろんな準備や心遣
いがあるものなんよ。」と諭してくださいました。

それから何十年が経ち。恥ずかしながら、そのような出来
事などすっかり忘れていたある日のことです。月参りに伺
ったお檀家さんでお仏壇に向ったとき、なんだかいつもと
違う感じを抱きました。おばあちゃんの座る位置がいつも
と違うのです。そして、しきりに私の手元へ視線を集中さ
せているのです。どうしたんだろう?と思いつつ、お線香
を額のところで念じて立てたときに「ああ!これだったの
か!」と気が付きました。香炉の灰が綺麗になっていたの
です。先月までは、何回も抜いたり刺したりしないと立た
なかった線香が、その日はきれいにスッと立ちました。私
の手元に感じていた視線の先をたどると、おばあちゃんが
ニッコリと笑いかけてきました。私も笑顔で応えて、お経
を読みました。お経が終わると、おばあちゃんに「和尚さ
ん、気持ち良かったやろ?お線香立て」と聞かれたので、
先ほどのお茶の灰のお話しをしました。

するとおばあちゃんは「私、もう何十年も主人の命日に和
尚さんに来てもらいよっても、“お経はお経のプロに来て
もろうて読んでもらうんが一番”。ぐらいにしか思てなか
ったんです。でも昨日、お線香立てを掃除しよったら気持
ちがス~ッとして、『ああ!こうゆうことも、お茶菓子も、
お花も、何もかもひっくるめての月参りなんやなぁ』って、
今更ながらに気付いたんです。和尚さんゴメンなぁ」と。
私は「いえいえ、いつも本当によくしていただいておりま
す。ありがとうございます。」と感謝を申し上げました。

布施という言葉があります。布施とは相手を思いやる心で
す。炎天下での炉灰作りなどのお茶席の準備、お仏壇の香
炉の灰やお供えのお花などのご法事の準備も、相手に心地
よくすごしてもらおうという思いやりの発露であり、「布
施の心」が形として表れたものです。お釈迦さまや道元禅
師さまの「布施」の御教えが、途切れることなく連綿と伝
わってきたことを思うと、有り難さが身に染みてまいりま
す。

新型コロナの位置づけが5類に移行し、私たちの日常もコ
ロナ以前に戻ろうとしています。外出時にマスクを着けず
に歩く人を見かけるようになりました。その一方で、ご高
齢の方、重症化リスクの高い方々にとって安心できない状
況であることに変わりはありません。お茶事やご法事だけ
でなく、日々のすべての行いに、布施の心、相手を思いや
る心を忘れぬよう、心がけてまいりましょう。

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2023/04/21~30   他は是れ吾にあらず

講師:高知県 浄貞寺 伊藤正賢師

春爛漫の四月、心がウキウキする季節です。新入学生、
新社会人と成られた方もおられることと思います。そし
て、それ以外の方にとっても四月は年度替わりの月であ
り、転勤や移動などで、新人気分を味わっている方も多
いことでありましょう。

かく言う私にも、新人と呼ばれる時代がありました。か
れこれ四十数年前の三月、私は大学を卒業して修行道場
の門を叩きました。新入社員ならば会社の新入社員研修
を受ける頃だと思います。姿形と日数などの違いはあり
ますが、私共宗侶にとっての新入社員研修が「修行道場
への入門」だといえるかもしれません。

会社員生活をしたことがありませんので何とも言えませ
んが、修行道場の生活では、最初の三か月が最も辛い期
間でした。色々なことを教わるのですが、「尊公そんな
ことも知らないのか?…尊公というのは君、といった意
味です…尊公それで良く、この本山に来られたもんだ」
と言われたり、「尊公そんなことも出来ないのか?尊公
の師匠は、いったい何を教えてくれたのだ?」と、手厳
しく言われたり、キツく指導されたこともありました。
先輩に対して面と向かって口に出せるはずもなく、「我
が師匠の事を知らないアンタに、そこまで酷く師匠のこ
とを言われたくは無いわ」と思いながら、ジッと耐え忍
ぶしかありませんでした。

ならぬ堪忍するが堪忍とはこういうことだ。殆どの修行
僧が言われたり、されたりしてきたことだと辛抱しなが
ら、体が覚えて自然にできるようになるまで、ひたすら
目の前のことに打ち込む日々。今になれば、理屈や知識
ではなく実践することによってはじめて得られるものが
あるのだと教わった三か月でありました。

上山して三か月が過ぎ、ようやく体も神経も修行生活に
慣れて来た頃でした。ある修行僧の先輩が私に「正賢和
尚、こんな言葉を聞いたことあるかい?」と語りかけて
くれました。「それはな、道元禅師さまが書かれた典座
教訓(てんぞきょうくん)という書物の中にある『他は
是れ吾にあらず』という言葉だ。修行は自分が自分です
るものだ、他の誰でもなく自分自身が経験して会得しな
ければ意味がないというお示しだ。お前さんは、つい数
か月前まで学生だったよね?大学生活も試験やら生活費
の工面やらと、それなりに大変な事もあっただろうけれ
ど、本山の修行の大変さは比べ物にならないだろ?いろ
んな事を覚えなければならないし、苦しい事も多いだろ?
だけどな、周りの先輩方もみな通ってきた道だ、早く一
人前の修行僧になって欲しいから厳しくしているんだよ
…分かるかな?それが『他は是れ吾にあらず』だ。道元
禅師さまが、七百年の時を越えて我々に教えてくださっ
ているんだよ。この言葉には続きがあってな『更に何れ
の時をか待たん』とお示しだ。つまり、後でやろうなど
と思うな。わずかな時間も無駄にするなよと。道元禅師
さまが優しくも厳しく諭して下さっているんだよ。」と、
教えて下さったのです。修行生活はそれからも大変なこ
とばかりでしたが、その先輩の言葉のおかげで一年間の
修行生活を無事に終えることが出来ました。

いま、新しい環境の中で様々な壁にぶつかっている方も
いるのではないでしょうか?与えられた課題が出来るか
どうか?不安にかられている方もいるかもしれません。
まずは、やってみましょう。『他は是れ吾にあらず、更
に何れの時をか待たん』です。

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2023/04/11~20   肌色のクレヨン

講師:愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

皆さんは最近のクレヨンや色鉛筆に「肌色」が無いこと
をご存知だったでしょうか?小学生の娘がクレヨンで色
塗りをしていた時のことです。娘に「ここは肌色で塗っ
てみたらどうだい?」と私が言うと、「肌色ってどんな
色?そんな名前の色はないよ」と言われました。一昔前
の「肌色」は、今は「うすだいだい」や「ペールオレン
ジ」という色名に変わっていました。

私が子供のころ、文字通り肌の色としてクレヨンに入っ
ていた肌色という色の表記は「人の肌の色というのはこ
ういう色なのだ」という固定観念を与える可能性がある
として、大手文具メーカー各社は2000年頃から使わなく
なったのだそうです。

国際化が進む中で、日本においても様々な肌の色の人た
ちが暮らすようになりました。日本で教育を受ける外国
の子どもが、肌色と表記されたクレヨンを手にしたとき、
「自分の肌と違う」と感じるのは、けして好ましいこと
ではないですね。肌の色に特定の色を定義付けすること
は複雑な誤解を招き、差別的な認識を拡大することにも
なりかねません。私たちが気づこうとしなかっただけで、
クレヨンの中に「肌色」が当たり前にあった時代に、つ
らい思いをしていた人がいたにちがいありません。

多様性という言葉が社会で叫ばれるようになった現代に
おいて、様々な立場を理解し、認め合い、受け入れ、支
え合っていくことはとても大切なことです。人種や国籍、
あるいは年齢や育ってきた環境によって「普通」や「当
たり前」の感覚は様々です。これからの未来を生きる子
ども達にとって「肌の色はこの色」と意識付けされない
ようにする配慮は、多様性を重んじる教育の第一歩とい
えるかもしれません。

『同事』という禅語があります。事を同じくすると書き
「相手と同じ立場になって思いやり、行動する」ことを
意味します。肌の色が違う人と出会った時、私たちは瞬
間的に「この人は日本人ではない」と判別してしまいが
ちです。しかし、肌の色だけで日本人かどうかが決まる
わけではありません。肌の色が違うという区別が、区別
の枠を超えて排他的になったり、差別的になったりする
ことがないよう、相手を理解すること、違いを受け入れ
ること、垣根を作らないこと。それが同事です。

クレヨンから肌色がなくなった一方で、肌色ばかりを集
めたクレヨンがあるそうです。世界の様々な肌の色がま
とめられていて、なかには40色セットの物もあり、肌色
といってもいろいろあることが分かります。多様性を理
解し、お互いを敬い、認め合う心を養ってまいりましょ
う。

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2023/03/11~20   こだわりを捨てる

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

小学校6年生の息子に、「なんで、学校では読み書きの
練習はするのに、聞く練習はしないの?」と、質問され
ました。「聞くことは、すべての基礎だからね」と答え
たのですが、何となく納得していない様子の息子を見な
がら、修行道場で共に修行に励んだ佐藤さんとの会話を
思い出しました。

佐藤さんは、私と同期の入門でしたが三歳年上で在家出
身。曹洞宗に限らず、色々なお寺で修行を積まれていて
独特の雰囲気があり、妙に馬が合って仲良くしてもらい
ました。

あるとき佐藤さんに、どんなお寺さんになりたいのかと、
尋ねたことがあります。すると「別に有名なお坊さんに
なりたいとも、立派なお坊さんになりたいとも思わない。
ただ、人の心に響く話ができるお坊さんになりたい。そ
れにはまず、いろんな人の話、とりわけ、目の前にいる
人の話をよく聞くことが大切だね。それは話すことにつ
ながる。相手と誠実に向き合うためにも、人々の悲しみ
の心に寄り添うためにも、聞くという学びが必要になっ
てくる。今はまだ分からんと思うから、いつか、そう言
っていた奴がいたなと思い出して」と、佐藤さんは話し
てくれました。

お釈迦さまは「まさに聞思修(もんししゅ)の慧(え)
をもって、しかも自ら増益(ぞうやく)すべし」と、お
示しになられています。

「聞」とは、人の話をよく聞くということ。固定観念に
とらわれず、素直な心で人の話に耳を傾け、相手を理解
することです。

「思」とは、よく考えるということ。疑問や解らないと
ころがあれば、それについて人によく聞いて、よく調べ、
よく考えて、正しいことを求めていくことです。

「修」とは実践するということです。人の話をよく聞い
て、よく考えて、それを実践していくことです。

私たちの周りには、大なり小なり、必ず学びとなるもの
があります。その第一歩が「聞く」ことですね。人の話
を聞くというのは、何でもないことのようですが、自分
の都合の良いように聞くことはできても、相手の真意、
相手が自分に本当に伝えたいことを、間違いなく理解す
ることはなかなかできないものです。

今になって思えば、あのときの佐藤さんは、そのことを
私に伝えたかったのです。

何かに行き詰った時や、新しいことに挑戦する時、レベ
ルアップしたい時には、こうあるべきだとか、こうしな
ければならないといった、こだわりを捨てることが肝心
です。こだわりを捨てれば、よく聞き、よく考えること
が出来ます。こだわりを捨てれば、自分の視野が広くな
ります。その気づきを行動に移せた時、新しい出会いが
待っているはずです。四月は出会いの月と言います、こ
だわりを捨てることを心がけ、一歩を踏み出しましょう。

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2023/03/11~20   柔軟心

講師:愛媛県 晴光院 曽根隆弘師

「狭い日本そんなに急いでどこに行く」という交通安全
標語を耳にしたことはありませんか?

学生時代の同級生、堀尾さんと一緒に徳島から愛媛に帰
ることになったときのことです。その時の運転手は私。
真夜中の道を雑談を交わしながら楽しく帰っていたので
すがスピードを出し過ぎていたのか「隆弘さん、そんな
に急がなくてもいいよ、そんなに急いでもあんまり時間
は変わらないから」と言われました。そして、それに続
けて彼は、母親との思い出話を聞かせてくれました。 

彼は高校生のとき、交通事情により毎朝、母親に学校ま
で車で送ってもらっていたのだそうです。堀尾さんの母
親はマイペースな性格で、いくら学校に遅れそうだと言
ってもゆっくり走り、行けると思う信号でも用心して止
まる。いくら急いでと頼んでも、柳に風と言った顔で、
ゆっくり運転する母親にイライラして、文句ばかりの毎
日だったそうです。

ところがある日、黙って運転をしている母親を見ながら、
ハッと気が付いたのだそうです。運転している母親の姿
は、万一事故でも起こしたら大変なことになるからと、
用心のうえにも用心をしている姿だったのです。

それに気がついた堀尾さんは、送るのが嫌な日も、体調
が悪いときもあるはずなのに、文句一つ言わずに送って
くれる母親に、散々文句を言っている自分が恥ずかしく
なったそうです。そして、イライラしながら急いでも、
到着時間はあんまり違わないんだということにも気づい
たそうです。

それからは、イライラすることもなくなり、「母さん送
ってくれてありがとう」と感謝するようになったと、話
してくれました。

禅語に、柔軟心「にゅうなんしん」という言葉がありま
す。人の数だけ人の価値観があり、立場が変わればもの
の見方も違う。違いを受け入れ、尊重する柔らかな心を
持つ、という意味です。たとえ家族であっても、一人ひ
とり、それぞれの人生を歩んでいます。価値観も違えば、
目指していることや動機も違います。自己中心のひとり
よがりではなく、良いことも悪いことも、全てを受け入
れながら前に進むことが大切なのだという教えです。

堀尾さんは、母親の安全運転に徹する姿を見て、立場が
違えば物の見方や考え方も違うことに気づき、相手の気
持ちに寄り添い理解する柔軟心が生まれ、感謝する気持
ちが持てたのです。

その話を聞いて私が車のスピードを落とすと「あ、いや、
隆弘さん別にそこまでゆっくり走る必要はないと思うよ」
と笑顔で言われました。

皆さんは自分の価値観を押し付けようとして、声を荒げ
たことはありませんか?どうして分かってくれないんだ!
と、イライラしたことはありませんか?そんな時は柔軟
心……柔らかな心を心がけてください。

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2023/02/21~28   相手の立場に立つ

講師:愛媛県 安楽寺 大井建人師

私たちの住む日本という国は、「諸外国に比べて比較的
差別が少ない国」だと認識している日本人が多く存在し
ますが、実状は全く違うとされています。例えば、男女
差別、障がい者差別、アイヌ民族や在日外国人の人権差
別などがあります。皆さんが思っている以上に、日本に
は多くの差別や人権問題が存在しているのです。

私は差別と聞くと、叔父が以前、発した言葉を思い出し
ます。

私の叔父の息子は先天性の身体障がい者で、手足の形が
よく知る形とは違った形をしています。私より10歳年上
で、小さい頃よく一緒に遊んでもらったのを覚えていま
す。

あれは、私が中学生の頃、叔父とテレビを見ていた時の
ことです。テレビでは、障がい者の子を持つ親にフォー
カスを当てた番組をしていました。その番組の出演者が、
「障がい者に対して、傍観者になっている人が多すぎる」
と発言した時、叔父はこう言ったのです。「障がい者、
障がい者と言うとるが、障がい者だって出来ないことば
かりやないわ。障がい者の子を持った人間が一番、その
子を障がい者と決めつけてるやないか。我が子は可哀想
だろう!と、親の自分は可哀想でしょ!と、叫んでいる
ようにしか聞こえん。同じ障がい者の子を持つ親として
悲しいわ!」私は叔父の言葉を聞いて、小さい頃、従弟
に遊んでもらった事を思い起こしました。従弟は、他の
人と同じように私と遊んでくれていました。私も従弟に
対して、他の人と同じように甘え、同じようにぶつかっ
ていっていました・・・。私は「そうだね、叔父さんの
言う通りだよ」と、言おうと思ったのですが、当事者で
ない自分に、それを言う資格は無いような気がして、結
局、一言も発することができませんでした。

しかし、『同事』という仏教の教えを知ったとき、あの
とき何も言わなかったことこそが、従弟を障がい者扱い
していたことに気がつきました。そして、それに気づき、
その考えや行いを改めていこうとすることが大切なのだ
と、気付かされました。

同事とは、事を同じくすると書いて同事です。相手の立
場に自分も立つという意味です。子どものころに「自分
がされて嫌なことは相手にもしちゃだめだよ。自分がさ
れて嫌なことは、相手だって嫌なことなんだから。」と
言われたことはないでしょうか?

私たちはとかく、障がい者の方がいると気を遣って特別
扱いをしてしまいます。その人が本当は出来ることであ
っても、できないと決めつけ、健常者とは別だと思って
しまいがちです。しかし、相手は、障がい者の方は、ど
う感じているでしょうか?本当はみんなと一緒に楽しみ
たい、みんなと一緒に何かをやって成功や失敗を体験し
てみたいと考えているかもしれません。

高齢者が電車で席を譲られて「年寄り扱いするんじゃな
い」と断って気まずい空気が流れることがあると聞きま
すが、それと同じで「障がい者という特別扱いをするん
じゃない」と思っている障がい者も、少なからずいるの
ではないでしょうか?

助けが必要な人とそうでない人、できる人とできない人、
人の心情は千差万別で、全てを汲み取るのは無理なこと
かもしれません。同事を成すということは難しいことで
すが、相手の立場になってみることを、常に心にとどめ
て忘れないようにしたものですね。

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2023/02/11~20   守る

講師:高知県 予岳寺 濱田道圓師

先日、ご供養に向かう道すがら、ある交通安全標語が目
に留まりました。そこには、こう書かれていました。
『まもろうよ 交通ルールと ひとつのいのち』

私は、この標語を反芻しながら、ふと、違和感を覚えま
した。命はかけがえのないものですから「ひとつの命を
事故から守る」というのは、すんなり理解できます。し
かし、ふだん当たり前に使っている「ルールを守る」と
は、いったいどういうことなのだろう?という、言い回
しに対しての違和感でした。

お寺に帰り、早速『守』の漢字を調べてみますと『心に
たもつ・みさお・おさめる・その状態を維持する」とい
う意味がありました。なるほど、「ルールを守る」とい
うのはルールを心にしっかり刻み、そのルールに則った
状態を常に継続する、という意味なのかと納得すると同
時に、ある言葉が脳裏をよぎりました。

それは、お釈迦さまの最後の説法であります仏遺教経の
中の『不忘念』という言葉です。道元禅師さまは『守正
念』とも著しておられます。不忘念・守正念ともに「正
しい仏の教えを心にしっかり刻み、決して忘れないこと。
そう念ずる力が強ければ、自分自身の欲望に害われるこ
とはない」という教えです。

内閣府のデータによりますと、横断歩道でないところを
横断していた歩行者が交通事故で亡くなった原因の、実
に七割に法令違反があったそうです。

横断歩道を渡ると遠回りになるからと言って、横断禁止
の場所で道を渡ってしまうのは、少しでも楽をしたいと
いう小さな欲望と言えます。こっちは歩行者なんだから
とか、車が停まるべきだという気持ちは、小さな慢心と
言えます。その小さな欲望や慢心から、取り返しのつか
ない事故に繋がることも有り得るのです。先ほどの交通
標語の「まもろうよ…」という呼びかけは、運転してい
る人だけでなく、歩行者への呼びかけでもあるというこ
とですね。

そしてそれは、道路上だけでなく、人と人との繋がりの
中でも同じことが言えます。きまりやルールを無視して、
自分だけ楽をしようとしていると、周りから不信や反感
を買います。自己中心的な言動ばかりだと衝突も起きる
でしょう。

正しいのは何かを見極める。難しいことのようですが、
一旦立ち止まって、自分の心を落ち着けると、実は自ら
がその答えを知っているものです。仏の教えという物差
しを心にしっかり刻み、ひとりよがりの考え方に振り回
されぬよう、お互いを思いやる気持ちを忘れずに、毎日
を過ごしてまいりましょう。

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2023/01/21~31   初志貫徹

講師:愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

「少年式」という学校行事をご存知でしょうか?愛媛県だ
けで行われている行事のようですが、昔の成人に当たる元
服にちなみ、中学2年生の少年少女を対象にした、立志・
自覚・健康を願う式典です。内容は、講演を聞いたり合唱
をしたり奉仕活動をしたり、大人への一歩を踏み出すこと
の決意表明などを行ないます。

私の娘がその少年式を今年控えており、三十年前には私も
母校の中学校で経験しました。

娘には学校から、将来の志を立てる四字熟語を選定すると
いう宿題が出されていました。それも私の時と変わってお
らず、当時の私が選んだ四字熟語は「旗幟鮮明」でした。
主義主張や態度がはっきりしていることのたとえで、優柔
不断で頼りないと周囲から言われていた中学生の私は、そ
んな自分を変えようという目標を立てました。

当時と比べて自分はどれだけ成長できただろかと考えてみ
ると、「旗幟鮮明」の言葉は今なお私に必要な言葉だと感
じます。自分の考えや主張に自信が持てず、周囲の声や反
応を気にしがちなのは、中学生の頃から進歩していないな
と気付きました。

道元禅師のお言葉に『志至らざることは無常を思わざる故
なり』とあります。志が実現できないのは、人生の残され
た時間が刻々と減っていることを自覚できていないからだ、
という意味です。

誰もが命の保証を与えられていないにも関わらず、今日生
きているから明日も明後日も生きているだろうと考えます。
この錯覚が、志の実現に向けての心の甘さを生むのです。
子供の頃の夏休みが良い例です。休みに入ってすぐは、そ
の長い休みが永遠に続くかのような錯覚を覚え、面倒な宿
題などは後回しにしても大丈夫という気の緩みが生じます。
しかし、お盆が過ぎて残りの日数が少なくなると、「あと
何日」という緊張感が生まれ、この緊張感が後押しをして
難攻不落の宿題の山に取り組むことになります。

少年式に当たって、娘が選んだ四字熟語は「初志貫徹」で
した。親の思いを知ってか知らずか、初志貫徹という言葉
が私自身にも向けられているように感じました。

限りある命を自覚し、心に誓った志を貫き通せるように、
今という一瞬一瞬を大切に生きていきたいものです。

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2023/01/11~20   お正月の過ごし方

講師:愛媛県 法蓮寺 川本哲志師

新年を迎え、早くも半月が過ぎようとしています。皆様
は令和五年の年明けをどのように過ごされたでしょうか。

お正月は歳神様が福を持って家を訪ねてくるとされてい
ます。門松や注連縄や鏡餅でお迎えした方も多いのでは
ないでしょうか。

正月三が日には歳神様を丁重にお迎えするためのしきた
りがあります。せっかく来ていただいた歳神様を払った
り流したりしないように、掃除や水仕事はやらないこと
とされています。炊事などの台所仕事も同じで、特に包
丁を使う行為は、物を切ることが歳神様との縁を切るこ
とを連想させるとして、お正月には縁起が悪いと言われ
ています。年末に大掃除を済ませておくことや、おせち
料理を事前に準備しておくことは、歳神様に失礼のない
ように気を配る風習だと言えるでしょう。

あまり知られていないことかもしれませんが、お正月に
は先祖が帰って来るとも言われています。もともと、先
祖を迎える行事は年に二回行われていて、お盆だけでな
く、お正月も先祖の魂をお迎えする行事でした。

鎌倉後期の随筆である徒然草には、「年の名残(中略)
亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都には無き
を、東の方には、なほする事にてありしこそ、あはれな
りしか」とあり、昔はお正月にもご先祖様を迎えて、共
に一年の幸せを願ったものとされていました。

コロナ禍で家族親戚が集まることが難しくなっています
が、懐かしいあの人が帰って来ると思えば、お迎えを疎
かにするわけにもいかず、一緒に新年を祝うのだと思え
ば、面倒に思えた年末の大掃除やおせち料理の準備もは
かどりそうです。

準備万端整えば、年の初めには忙しく家事をすることな
く、ゆっくりとお迎えすることができるでしょう。歳神
様やご先祖様を大事にすることに集中するお正月の風習
は、新年の健康や幸福を願う時間と心の余裕を、意識的
に作りだす知恵と言えるかもしれません。

今年もどうぞ、お健やかにお過ごしください。

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